名前を考える旅


 家庭を持つ旅好きなら分かってもらえるだろうか。単なる道楽で旅に出るとなると、それなりの名目が必要だということを。そして、それが一人旅だとさらにハードルが上がるし、そしておまけに相方が妊娠中だったりすると、そのハードルはそこら辺の山より高い。むろん、相手によっては、だが。
 そんなわけで今回の俺のダラムサラ行きは、職場でも大不評だったし、実の親にも呆れられた。けれども、肝心の相方は、はなから諦めている部分もあったのだろうけど、一言だけしか言わなかった。
「行ってもいいけど、生まれる子どもの名前を考えてきてほしい」
 このとき、俺の頭の中には某ガイドブックのとあるコラムが浮かんでいた。曰く、ダラムサラではダライラマ14世の集団謁見をやっていて、一人一人に祝福を授かるその際に、うまくやればチベット名をもらうことができる…。自分のチベット名なんてもらっても仕方ないので、いっそのこと子どもの名前をもらってしまえ!と俺は閃いた。我ながら何という名案。
 そこまでの思考の変換を3秒で終え、お安い御用だ!と即答した俺の旅の最大のミッションは、こうして「子どもの名前を考える」ということになった。
 しかし、ダラムサラに到着して二日目、俺はチベット亡命政府の広報掲示板の前で膝から崩れ落ちていた。蓋を開けてみると、やっている筈の集団謁見は、ダライラマの高齢を理由にここ数年は行われていないようだった。残念だが、少し古いガイドブックを鵜呑みにしていた己が迂闊だったのでこれは仕方ない。その理由を述べるには、3日ほど話を遡る必要がある。
 シンガポールからデリーに向かう飛行機に乗り込んだときに、ファーストクラスに尋常ならざる徳の高そうなお坊さんが座っていて、目が合うとほほ笑んでくれた。そしてその隣には、度のきつそうな眼鏡をかけて、ちょっと猫背になりながら英字新聞を食い入るように読んでいる老いた坊さんがいた。
 まさかダライラマ!?とピンときたのだが、「普通に飛行機に乗るなんてことはないやろう」とすぐにその考えを打ち消した。
 ところが、広報掲示板には、俺が乗ったその日にダライラマオセアニアの巡遊を終えて、シンガポール経由で帰国するという旨が記されていたのであった。俺は自分の迂闊さを蒼い空まで届けとばかりに呪い、ヒマラヤも崩れよとばかりに地団駄を踏んだが、すべては後の祭り。後悔先に立ってくれないし、チャンスの神様の髪の生え方も変わらない。
 俄かダライラマ・ファンの名づけミッションは、こうして幕を閉じた。そして、俺は普通に子どもの名前を考えることにしたが、よくよく考えてみると、その子どもは性別もまだ分からないのだった。