チベットの天災に思う

 私は一介の旅行者として幾つかの国を旅したが、一つだけ心に留めていることがある。わずかな滞在時間で何がどう分かるものでもないが、旅した後もその場所に何がしかの関心を持ち続けること。特にチベットには、その特殊な政治状況もあって、この思いが強い。
 この夏は、<チベット>にとっては災難だったろう。東の外れのアムドでの洪水に西の外れのラダックでの洪水。特にラダックの洪水は中心都市でるレーで被害が大きく、中でも近郊の村であるチョグラムサルは壊滅的なダメージを受けたそうだ。ここは、チベット本土からの難民が多く住むところでもある。

 2006年に一週間ほどレーに滞在したときのある日、チョグラムサルに出かけた。高地での慣らし運転という意味で、近場を選んだと記憶している。歩くのは少し骨だが、レーの中心街の南の坂の途中にあるバスだと30分もかからない。
 バスを降りて街道から路地に折れると、白く塗られた石の壁の集落に入る。高台には大きなマニ車が見えるので、ゴンパでもあるのだろう。そこに向かって適当に歩いていると、壁の向こうから声をかけられた。顔をくしゃくしゃにして手招きしているおばあさんだった。おばあさんに庭に招き入れられた私は、身振り手振りで、自分はラサを訪れたことを伝え、おばあさんはラサ生まれだということを何とか聞き出した。いかんせんチベット語がしゃべれないので会話も長続きせずその時はほどなく辞したのだが、ラダック旅行記でも書いたとおり、その翌日にレーでそのおばあさんに再会してそのままゴンパへ連行されたので、よく覚えている。

 ともあれ、そのチョグラムサルはインターネットを見る限り、実際のところは「壊滅的」という言葉が全く誇張ではない状況だということがよく分かる。あのおばあさんはどうなったのだろうか。当然、それも分からない。
 今の私に出来ることは数少ないが、まずはこの事実をここで紹介しておきたい。そして、一日でも早い復興を祈る。