レーのにわか仏教徒
レーのメインバザールの脇に、比較的新しいゴンパがある。向かいにあるモスクに対抗して建てられたらしい。ちょっと五月蝿い朝夕に読経テープを流すのも、ムスリムのコーラン詠唱に負けまいとして始められたという。
このゴンパには、レー近郊の村々から多くの老人がやってくる。彼らは日がな一日中ゴンパの前の中庭に座って、マニ車を回し、数珠を一つ一つ弾きながら、スピーカーから流れる読経や説法に耳を傾けたり、知り合いとお喋りしたりしている。
朝夕のお勤めともなれば働き盛りの人たちもお参りに来るのだが、なかなかそう暇な人間ばかりでもない。必然的に日中は、老人か子供か、はたまた住み着いてしまっている犬や牛しかいないのだ。僕も、暇を持て余すとこの寺に来て、彼らと同じように筵の上に座るのが日課になっていた。
まだ人よりも野犬の方が目立つある朝、僕がメインバザールを散歩していると、いきなりチベッタンの老婆に手をつかまれ、そのままゴンパに引っ張っていかれた。
あまりに不意のことだったので、面食らってしまったが、よく見ると顔見知りのラサからの難民だという婆さんだった。
その前日、この高度にも慣れてきたということで、レーから南に少し行ったところにある、チョグラムサルというインダス川沿いの小さな街に出かけた。ここは、チベット本土からの難民が集住する村だ。
バスを降りて少し北に歩くと、すぐチベッタン難民居住エリアに入る。詳しいことはよく分からないが、何となく建築の様式もラダックのものとは少し違うようだ。それに何より、歩いている人々の顔つきや服装も、チベット本土のそれだということに気づく。
村を歩いていると、牛の乳搾りをしている一家がいた。「見ていけ」と手招きされて、少し見せてもらいながら話をしたのが、この婆さんだった。
気付けば、僕は婆さんに導かれるまま、ゴンパ周りのマニ車を回転させながらゴンパを一周し、そのまま堂内へ。そして僕は、訳の分からないまま五体投地を繰り返し、参拝者に配られる朝餉を頬張りながら朝の読経に参加していた。
途中でおばあさんに貰った数珠の珠を一つ一つ手で弾きながら、「オンマニベメホム」とひたすら唱えていると、気づけば3時間も経っていた。けれども不思議なもので、その3時間は全然苦痛ではないどころか、あっという間のことで、妙に心も落ち着いた時間だったのが、自分でも意外だった。
何もない荒野を、五体投地しながらラサへ向かうチベタンの姿を思うと、「自分が仏教徒」だと言うのに躊躇いがないわけではない。しかし、旅先で自分の宗教を聞かれる度に「仏教徒」と答えているうちに、「ああ、自分は仏教徒なんだ」と思えてくるのが不思議だ。
僕は、婆さんから貰ったその数珠を、旅の間、肌身離さず持ち歩いた。