旅の発端
2001年のゴールデン・ウィークのことだった。いつものように昔のツレと遊んだ帰りの車内、助手席に座っていたノリオが呟いた。
「夏休み、どこかに旅行に行かへんか?」
彼は、何年かの長い雌伏の時―世間では浪人と呼ぶ―を経て、ようやく訪れた大学生活も二年目に突入しようとしていた。前々から海外旅行に興味を持っていたのは知っていて、「そのうちどこかに行こう」という話はしていたのだが、ついに機が熟したらしい。
かく言う自分は、大学院に入ったばかりであると同時に、某機関への採用試験を目前に控えており、本来であれば旅だ何だと言っている場合ではなかった。おまけに、ラオスへの単独卒業旅行からまだ一月ほどしか経っていなかった。けれども、「旅」という言葉を聞いて反応しないわけにはいかない。
「よっしゃ、アンコールワットでも見に行こうか!」
一方的な私の提案に「ええんちゃう、それ。」とノリオも乗ってきたので、話は決まった。この時、どうして咄嗟にアンコール・ワットという言葉が出てきたのかは良く覚えていない。ラオスを旅したときに会った何人かの旅行者から、かの遺跡の素晴らしさについて刷り込まれていたかもしれない。
いつにしようか…などと気の早い話をしていたその時、思わぬ横槍が入った。
「俺も混ぜてくれよ!」
そう言って後部座席から顔を突っ込んできたのは、ケンタロウ。就職も決まった上に卒論を書く必要もないという、言わばお気楽この上ないご身分だ。正直なところ、彼が海外旅行に興味があるとは知らなかった。というか、婦女子とゲームとテニス以外に興味があることすら知らなかった。大学のうちに海外に行ってみたいと思いつつもキッカケがなかったということなのだろう。
とは言え、断る理由はない。こうして、夏休みに男三人でアンコールワット詣でに行くことになった。
この後、今回のツアーのコンダクターを正式に拝命した私は、某旅行会社で8月末出発の格安航空券の手配を済ませた。実は採用試験の日程と少しかぶっていたのだが、「どうせ試験には落ちてるだろうからその頃には何もないだろうし、夏休みの後半に気分転換ってのもいいだろう」というくらいのものである。
かくして、男三人、旅についての位置づけもてんでバラバラなままに8月23日を迎え、夜の関西空港からバンコクへと飛び立った。
ちなみに、私の採用試験はと言うと、大方の予想を裏切って最終面接までコマを進めたのは良かったのだが、あろうことか出発の日と面接の日が重なってしまい、午前中に東京で面接を終えてすぐ関西にとんぼ返りして、そのまま旅に出るというドタバタ劇を演じることになってしまった。結果的に辻褄があったので良かったのだが、この面接がもし午後にセッティングされていたとしたら…私はこうしてのんびりとこの駄文を書くことができたのだろうか。人生、先は読めないものだ。
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この旅行の文字記録は一切残されていないため、私のオボロゲな記憶と関係者の断片的な証言を元に再構成したものである。結果として、事実とは異なる事象もまま含まれることがあるので、その旨、予めお断りしておきたい。