プノンバケンの丘から

 今はどうなっているのか知らないが、私たちがアンコール遺跡を訪れた頃は、バイク・タクシーをチャーターして遺跡巡りをする人が多かった。アンコール・ワットを中心に大小様々な遺跡が広大な地域に点在していて、とてもではないが徒歩では回れないのだ。バイク・タクシーと言っても、ぼろい原チャリの二ケツで汗まみれ・埃まみれになりながら遺跡をかけめぐるだけなのだが、クーラーのきいた車でかっ飛ばしてしまうちょっとリッチな人たちよりは色々と体感することができるし、酷暑の中での体力勝負の自転車で頑張る筋がね入りの人たちよりは効率的に周ることができる。つまり、私たちのような中途半端な旅行者にとって、バイク・タクシーは非常に都合の良い手段なのだ。
 さて、船着場で客引き諸氏に囲まれた私たちは、鼓膜と三半規管がぐだぐだな状態ということもあって彼らの手を振り切ることができず、ゲストハウスの客引き兼バイク・タクシー運転手の若者三人組の客となった。明日から3日間の契約で、一日につき6ドル(カンボジアの現地通貨リエルは屋台などでしか通用しなかった)。相場っぽかったし、悪くない。そして、引き締まったカンボジア人の若者の背中に抱きついてバイクに揺られること数分、無事に彼らが契約しているゲストハウスに到着した。
 荷物を置いて一服しようとすると、バイク・タクシー3人組のリーダー格の男―サングラスがご自慢のようだったのでグラサンと呼ぼう―が言った。
「おいおい、プノンバケンから夕陽を見るって話だったじゃないか。」
 そうだった。バイクの上で夕陽がどうとか話しかけてくるので、あまり深く考えずに「いいねぇ」と答えていたのだが、そういう話だった。おまけに、明日から3日間の遺跡入域パスも今のうちの取っておいた方がいいということで、それも「行くわ」と答えていたのだった。
 だるいなぁと思いながらも再びグラサンの引き締まった背中に抱きついたのだが、そんな調子なのでグラサンとの会話も弾まない。振り返ると、ケンタロウとノリオは旅行初期特有のハイテンション状態にあるらしく、キャッキャと言いながら背中越しの片言英会話を楽しんでいた。
 入域パスに貼りつける写真の撮影で最後の笑顔の素を使い果たした私は、プノンバケンの丘の前に立ち尽くしていた。
 目の前には、限りなく滑りやすそうな石段らしき坂道がまっすぐ頂上まで延びていた。「何なら象に乗っていくか?」とグラサンがニヤニヤしながら出してきた提案を、最後のプライドで以て断固拒絶した私たちは「陽が沈んだら戻ってくるから待ってろ」と言い残して、坂道を登っていった。
 頂上に立つ遺跡に登ると、一気に眺望が開けた。
 眼下には夕陽を浴びて黄金色に輝くカンボジアの大地が広がっていた。東の方にはアンコール・ワットが密林(という程でもないが、森林というのもおかしいし)からひょっこり顔を出している。日本を出て3日目。ようやくのご対面だ。ここは同じく夕陽を堪能しようとする旅行者でごった返していたのだが、そんなことも気にならない。夕陽が西バライの彼方に沈むのを、じっくりと見届けることにした。
 すっかりテンションの上がってしまった私たちは、「いやー良かったなぁ」「ええもん見たなぁ」「さぁ晩飯何にしようか」などと言いながら浮かれた足取りで坂道を下りて行った。グラサンたちの待つ駐車場まであと少しというところで、ブチっと音がした。
 何と、ラオスで買ったサンダルがオダブツになってしまったのだった。応急処置で何とか履ける状態にはできたものの、こうして私は足元に不安をかかえたまま旅を続けることになってしまった。