21世紀のアンコール・ワット参詣

 アンコール・ワットが「発見」されたのは、1860年1月22日だとされている。もちろん、本当に発見されたのではなくて、アンリ・ムオー(Henri Mouhot, 1826ー1861)というフランス人の探検家がインドシナのジャングルに分け入ってそれを目の当たりにし、その体験を西欧近代世界に生きる人々に再度伝えただけのことなのだが、当の本人にとってそれは、「発見」としか呼べないくらいの衝撃だったであろうことは容易に想像がつく。
 ムオーは、その時の興奮をこう綴っている。

何気なく東の方に眼をやった時、私の視線は、釘付けにされてしまった。森の途切れた広大なところにそれはあった。霞みがかった密林の彼方に、丸屋根と5つの塔を持つ巨大な輪郭がうっすらとそびえ立っていたのだ。
 近づくにつれて、私は、その壮大な廃虚に息を飲み、次第に圧倒され、完全に酔わされてしまった。近くで見たそれは、ますます素晴らしく、細部の美しさ、仕上げの壮麗さに至っては、心からの讃美と歓喜を感じざるを得ない。かくも美しく壮大な建築物が、密林の奥深く、この世の片隅に、人知れず存在していようとは一体誰に想像出来たであろうか?この空前絶後の建築物を前にして言葉など出ようはずもない。魂は震え、想像力は絶するのみである。

 また、2001年3月にラオスビエンチャンのゲストハウスで相部屋になった日本人バックパッカーは私にこう言った。
「マジでカッコいいっすよ!」

 ムオーの訪問から141年後、顔も忘れた日本人バックパッカーの自慢話を聞いた半年後、私は遂にアンコール・ワットの前に立った。その脇では、シルクのスカーフを売りつけようとする売り子さんがずいと右手を出している。
 そのあまりの壮麗な存在感の前に、私たちは売り子さんたちを振り払うのも忘れて、ただ口をポカンと空けるしかなかった。カッコいいとは聞いていたが、ここまでカッコいいとは思わなかった。南国の太陽が情け容赦なく照りつけたり、観光客で一杯だったり参道の片側が修復工事のために青いシートで覆われていたりもしたが、そんなのはどうでもいい。
 足早に参道を通り抜けて回廊へ。そこには、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の場面の精巧なレリーフが一面に刻まれている。順番に見て行っても全く飽きない。1632年に(名前の残る限りにおいて)日本人として初めてここを訪れ、そして祇園精舎の跡と勘違いしたという森本一房の落書も確認することができた(ここは、日本人ツアーの解説にフリーライドした)。
 回廊は賑やかだが、祠堂の急な階段を登ると人気はぐっと少なくなる。そして、ひんやりした石と吹き上げる風が何とも心地よい。もちろん、眺めも悪くない。私たちは時間が経つのも忘れて、この遺跡の素晴らしさについて―「すげー」とか「でかい」とか貧弱な語彙しか持っていなかったが―語り合った。気のおけない友人との旅の良さの一つには、こういう持て余した時間に色々と語り合うことができることがあると思う。そしてその後、時間が余る度にグラサンたちに「アンコール・ワットに行ってくれ」と言ってはここまで登って時間を潰したのだった。もっとも、二回目からの話題はどうでもいい下ネタとかにシフトしていったのだが。
 けれども、アンコールで最も印象深かったシーンは何かと問われれば、私はアンコール・ワットからバンテアイ・スレイへと向かう途中に立ち寄った遺跡での一コマを思い浮かべる。
 グラサンが「名前は忘れた」とか言いながらも気を利かせて止まってくれた(アンコール・ワットに比べれば、だが)小さな遺跡で、例のごとく3人で馬鹿話をしながら祠堂を登っていくと、子どもが一人立っていて、シーっと人差し指を口に当てた。何だろうと思って奥に目をやると、一人の僧侶が外に向かって座禅を組んで瞑想していた。彼の肩の向こうに聳えるアンコール・ワットは、どこから見るよりも美しかった。