ラサにて(6)


 ヒマラヤを取り巻く高地一帯に付けられた名称である「チベット」という言葉の響きは、旅行者を惹きつけるものがある。それが、近代の一時期と中国共産党支配下に入ってからの閉鎖的な政治状況から連想されるものなのか、チベットに根付いた仏教のエキゾチックなスピリチュアルなイメージによるものなのか、はたまた、チベットというものが本来持つ「磁力」によるものなのかは分からない。
 明治時代以来、何人もの日本人が閉ざされたチベットに潜入しようと試みて、ある者は成功し、ある者は失敗した。ある者はチベットに仏教の源流を求め、ある者はスパイとしての密命を帯びた。ある者は、インドからヒマラヤを越え、ある者はチャンタン高原を横断した。ある者はにとっては最初で最後の機会だったが、ある者は二度チベットの土を踏んだ。ある者はチベットで華やかな生活を満喫し、ある者は素性を隠して修行に励んだ。ある者はチベットを追われ、ある者は多くの仏典を携えて凱旋した。
 いつの時代も様々な思いを抱いた旅人がいて、旅人の数だけ旅のスタイルがある。
 この21世紀、チベットはもはや閉ざされた神秘の国ではない。もちろん、外国人の立ち入りが難しい地域も多くあるし、チベットに関する情報もバイアスにまみれている。けれども、きちんとお金を払って許可を取れば合法的にラサに入れるし、チベットの自然や宗教を取り上げた映像を見ることもある。
 それなのにどうして、闇バスやヒッチハイク、果てはサイクリングとあらゆる手段を駆使して非合法にラサを目指す者が後を絶たないのだろうか。俺がラサにいた当時、ウロウロしていた個人旅行者を見ていると、おおよそ半分くらいは非合法な手段を取っていた。その多くは闇バスだったと思うが、ヒッチハイクで来たツワモノも結構いた。
 闇バスの旅は、すし詰めの長距離バスに紛れ込んでラサまで運んでもらうのが一般的なので、検問さえクリアすればそう大変なことではない。そもそも、これはプロの仕事である。
 しかし、ヒッチハイクだとそうはいかない。ヒッチハイクといっても無料ではなく、闇バスほどではなくてもそれなりのにお金を払って、巡礼トラックなどの車に乗せてもらうものなのだが、闇バスとの違いは、運び手がプロではない、ということに尽きるだろう。従って、車が何日も捕まらないとか、乗った車のスピードが遅いとか位なら大したことはないが、検問で引っかかって出発前の街に強制送還されたり(もちろん、罰金つき)、運が悪ければ身包みを剥がれたりチベットの土くれになってしまったりする。
 ラサのホテルやゲストハウスの掲示板には、前に書いたとおり、消息を絶ってしまった旅人たちを探すビラが貼られている。もちろん、こうやって尋ね人のポスターを作ってもらえるのは、実際にチベットで行方不明になっている旅人のごく一部だし、そもそも行く不明になってしまう人自体が圧倒的少数派なのだが、ラサにたどり着いた旅人は、こういったポスターを見て初めて、自分の辿ってきた道の危うさに気づくのだ。
 俺がラサに到着して3日後、ラサ滞在中ずっと体調を崩していて何しに来てたのか分からないノブと、必要以上に最新式装備を誇っていたハッカクの2人組がネパールに向かった。それと入れ替わるように、その日の昼過ぎ、日本人の2人組の男が入ってきた。四川省からアムドを抜ける川蔵南路をヒッチハイクで抜けてきたらしい。一人は伸ばした髪をツイストにした、鹿のような鋭い眼光を放つ男。もう一人は坊主に黒ぶち眼鏡の男。くわえ煙草で、ラサの直射日光が眩しいのか、目を細めながら近づいてきたその様子は、正にヤンキーである。
 基本的に人を見た目で判断する俺は思った。こいつらとは関わりたくない。
 ツイストの方がそのまま近付いてきて、煙草の煙を吐き出しながら言った。「金、貸してくれませんか?」
 おいおい、白昼堂々とホテルの中庭でカツアゲかよ・・・
「いやね、ラサで両替しようと思ってたんですけど、週末なんで。金ができたら返しますから」
 喋ると意外に穏やかな口調で、どうやらカツアゲに遭っているわけではないらしい。というか、よくよく話してみると、二人とも普通に良い人たちだった。ツイストの方がリョウで、坊主の方がマサ。隣の部屋に入ったらしい。
ヒッチハイクの方が安上がりやし、何か面白そうやな」
ひとしきり二人の旅の様子を聞いた俺が思わず口にすると、リョウは即座にこう返してきた。
「確かに貴重な経験やったけど、決しておススメはせんよ。宿に泊まるときも車に乗るときも街を歩くときも、常に日本人という自分の存在を隠さなければいけないのは、本当に辛かった」
 闇バスでそれっぽいのは味わったが、所詮プロの運び屋の庇護の下にあった俺にとっては、「自分の存在を消す」というのはちょっと想像もつかない感覚だ。
 彼らは二人だったが、カム地方の玄関口・カンディンを出たときには3人組だったという。もう1人は、リタンからチャムドに抜ける川蔵南路を進んだ2人とはラサでの再会を約束して別れ、はカンゼ・デルゲを抜ける川蔵北路を選んだという。「もうすぐ着くとは思うんだけど・・・」と2人は東の空を見上げていた。
 チベットへ至る道程には、旅人の数だけドラマがあるのだ。第三の男は、チベットの空でどんな旅路を歩んでいるのだろうか。