ラサにて(7)


 ラサについて5日も経つと、最初の昂揚感も次第に薄れ、惰性の日々が始まる。
 まず、朝早く起きることが難しくなってきた。「明日も朝日を見に行こう」「朝からパルコルを回ろう」とか考えながら眠りにつくのだが、夜が明けても温かいブランケットから這い出すことができない。二度寝などをしているうちに、9時頃になる。この時間帯には太陽も高く出ているので、それほど寒くはない。まずは、シャワーを浴びて洗濯。
 洗った服を屋上に干してから、中庭のベンチでボーっと本を読んだり、他の旅行者と話をしていると、リュウがやってくる。彼は毎日朝早くから散歩するのが日課なので、テンションは高い。俺もリュウに引きずられるように、ホテルの隣の食堂でちょっと遅い朝飯を食べる。四川省からの移民が経営しているこの食堂は、重慶風のお粥がうまい。ちなみに、この食堂の女主人は、どこかの日本人旅行者から間違って教わった挨拶を、俺たちを見かけると必ずやってくれる。
「マタニー!!」
 食事を終えると、腹ごなしに軽くパルコルを一周してから、光明食堂でチャイを一杯。そこでリュウとは別れて、ラサの街を歩く。
 ある日は、バスに乗って西の郊外にあるデプン寺に遊んで、破壊されたままの伽藍に思いを馳せる。ある日は、南へ歩いてヤルツァンポ河を渡り、漢人移民の多い新市街を散策。ある日は自転車を借りて北の外れにあるセラ寺―100年前に河口慧海が身分を偽りながら過ごした寺だ―に行って、坊さんたちのたぶんに客の目を意識した問答を見る。ある日は、ジョカン周辺の店を巡りながら、土産を物色する。
 そして、日が少し翳ってきた頃、ホテル近くのインターネットカフェに入って、最低1時間はそこで過ごす。ラサのインターネット事情は、これまで旅をしてきた中国北西部と比べて格段に良いので、ついついメールを乱発してしまうのだ。
 夕方になって部屋に戻ると、これまた散歩を終えたリュウが遊びに来ているので、何人かで連れ立って近くのチベタン食堂へ向かう。晩御飯はもちろん、モモとラサ・ビール。高度3,700メートルの気圧でしたたかに酔っぱらってから、ジャガイモの串揚げ(麻辣風味)をつまみながらホテルへ戻る。その後、興が乗れば、部屋に戻って日付が変わるまでおしゃべりするし、その気にならなければ日記を書いて寝る。
 こうやって、自分の中に何となくラサの街での「一日のリズム」のようなものが生まれてきていた。そのリズムに乗っていれば、快適に過ごすことができた。こう書くと何となく良さそうな響きがあるが、これは俗に言う「沈没」という状態でもある。

 けれども、こういった日々を送りながらもネパール行きの準備を進めていたので、純粋に「沈没」していたとは言えないかもしれない。
 ラサに到着した2日後に、ラサの西にあるネパール領事館に行って、ツーリスト・ビザの申請を済ませた。優雅に役人仕事をこなす窓口に、同じようにネパールに出ようとしているチベタンと一緒になって殺到し、申請締め切り時間に何とか滑り込ませたので多大なエネルギーを消費したが、その2日後には無事にビザを取得することができた。それと同時並行でアメリカ人のダレイが主催するランドクルーザー・ツアーにリュウと一緒に乗っかろうとしたが、ダレイの人間性に問題ありと判断してドタキャンし、彼の恨みを買ったことは前に書いたとおり。ちなみに、その後しばらく、街でダレイに会うたびにイヤミを言われたものだ。「よう、日本人。まだいたのか。俺はお前らのせいでまだラサだよ…」。
 そんなダレイのイヤミ攻撃にもめげず、俺はリュウと二人でつつましやかにビラを貼るなどしてランドクルーザーのシェア・メイトを少しずつ集めていった。
 最初にコンタクトしてきたのは、俺と同じ時期に四川から女一人でヒッチハイクしてきたというツワモノの素振りが傍目には一切感じられないフワフワした感じのヨウコさん。彼女とは、ヤク・ホテル前のちょっとお洒落なカレー屋兼ギャラリーで偶然居合わせたのを機会に喋るようになっていた。
 次にやってきたのは、日本に暫く滞在してタレント活動をしていたので日本語がペラペラな、しかしせっかちなのかやたらどもるオーストラリア人のローレン。そのツレで、韓国で英語教師をしているジェームズもやって来た。二人ともいかにもオージーらしいテンションの高さが面白い。
 二人の参加が決まった翌日、ローレンと同じホテルに泊まっているというオランダ人のフランクも参加することになった。フランクは30過ぎのおっさんだというのに、いつもヘラヘラしてちょっとつかみ所のない感じの奴だった。ゴルムドからフランクと同じ闇バスに乗ってきたウチダ君の話によれば、フランクはいつもパンツ一丁で寝るのが習慣らしく、闇バスの中でも律儀にパンツ一丁になってブランケットを羽織って寝ていたらしい。当然寒いので、ガタガタ震えていたので、気の毒に思ったウチダ君が「僕には寝袋があるから、このブランケットを使ってくれ」と差し出したところ、「ありがとう」と言って受け取ったブランケットを丸めて、枕にしてそのまま―相変わらず震えたまま―寝てしまったそうだ。
 最後に参加が決まったのは、四六時中ウォークマンでBOYZ ?MENを聴いている韓国人OLのジェニス。最初はキレー・ホテルにいたのだが、設備の良いヤク・ホテルが気に入って移ってきていた。ちなみに、彼女がホテルを移動してくるときに、上はセーター、下は毛糸のスパッツというあり得ない組み合わせで扉を開けて、中にいた俺たちの度肝を抜いたものだ。
 ともあれ、こうしてビラを貼りだして2日ほど経った頃には、十分にランドクルーザーをシェアできる頭数が揃っていた。しかもこの濃いキャラクターである。これなら、ネパール国境まで楽しく旅ができるだろう。ラサを出発するのは、3日後の朝と決まった。
 こうして、「沈没」しつつも、俺は着々とラサの持つ不思議な磁力とそれに守られた奇妙な安心感から脱出する手配を整えていった。