ラサにて(1)


 翌朝、目が覚めると、真っ先にシャワーを浴びた。勢いよく出る湯で、旅の汚れを洗いおとした。
 9時すぎにホテルを出た。ホテルの前の大通りを、方角もよく確かめないままに歩いていった。ラサの標高は3500メートル。酸素が少ないためか、足もとが少しフワフワしているような感覚にとらわれる。気温は低いはずなのだが、刺すような日光のせいで、体感温度はそれほど低くは感じられない。セーターに皮のジャケットを着込んだだけで十分だ。
 大通りを車が疾走し、歩く人間はチベタン巡礼者の数よりも漢人や旅行者の姿が目立つ。最近できたらしいホテルやデパートなどの大型施設も少なくない。21世紀のラサは、「秘境」という部外者の勝手なイメージを鮮やかに裏切ってくれた。

 そして、不意に視界が開けた。目の前にポタラ宮があった。
 それは、あまりにも唐突な出会いだった。俺は言葉を失った。その偉容の前にして、これまでの全ての苦労―五体投地でここまでやってくる巡礼者とは比べるべくもないが―が報われた気がした。
 とはいえ、冷静になってポタラ宮を見てみると、その偉容も孤立したものであることに気づく。昔はポタラ宮のあるマルポリの丘の麓にはチベット式の住居が所狭しと軒を連ねていたらしいが、それらの殆どは取り壊されてしまっている。代わりに建てられた中国特有の無味乾燥な「人民広場」と近代的(=漢人趣味的)なビル群の中に、主を失ったポタラ宮が取り残されてしまっているかのようだ。おまけに、人民広場では、チベット解放50年を記念したモニュメントが建設中だった。

 巡礼者たちの流れに乗せられて、ポタラ宮へ。外国人旅行者である俺は、50元を払ってから、中へと入った。
 建物の中は薄暗い。燈明を燃やすバターと何世紀にも渡って積み重ねられたカビの匂いが鼻をつく。真言を唱える巡礼者たちの後をついて、右も左も分からない閉ざされた空間を歩いていると、眩暈を起こしそうになる。巡礼者たちは、仏像やダライラマの墓に、カタをかけ、賽銭を投げ入れ、祈りを捧げていた。俄か仏教徒の俺は適当な真言を形だけ唱えてお茶を濁した。
 狭い階段を登っていくと、急に視界が開けた。ポタラ宮の屋上に出たのた。眼下には、ラサの街とヤルツァンポ河が広がっていた。吹き上げる風は肌寒かったけれども、心地よかった。
 それにしても、ポタラ宮の内部の、壮麗な外観とは裏腹のあの鬱屈したような空間は何なのだろう。ポタラ宮を人間に例えるならば、その体内を巡ったといえるかもしれない。外見はどんなに美人でも、体内の肉や内臓は、閉ざされた暗闇で蠢いている。

 ポタラ宮を下りて、人民広場から東に入っていくと、「パルコル(八角街)」と呼ばれるエリアに入る。この一帯は、チベット風の建物が軒を連ね、土産物から日用品、衣料など、様々な物で溢れている。名刹ジョカン(大昭寺)を囲むこのエリアでは、観光客以外では漢人の姿はほとんどみかけない。、ジョカンを一周する八角形の通りは、マニ車を回し真言をとなえながら、或いは五体投地しながら時計回りに周回していく巡礼者や物乞いの子どもたちで溢れている。
 チベタンも様々だ。長髪を頭に巻きつけた勇壮なカムパの男や、赤い房飾りをつけたお洒落なアムドの男がチベタン服を片袖がけにして闊歩する。かと思えば、商売で成功したのか、小ざっぱりした洋服に身を包んだ男が唾を吐きながら歩いている。
 歩き疲れれば、パルコルに点在している茶館に入ればいい。薄暗い食堂の粗末な木の椅子に腰掛け、チベタンと肩をくっつけながらラサ特有の甘いチャイで体を暖めれば、それでOKだ。

 ラサの持つ強烈な磁場に魅かれるように、俺は何時間もパルコルをぐるぐると回った。そして思った。フワフワしているのは、決して酸素の量だけのせいではない、と。