ギャンツェへ


 話は1日ほど遡る。
 鳥葬ツアーから帰った日の夕方、ホテルの隣の「マタニー」飯店でリョウやマサたちと晩御飯を食べていたときだ。一人の日本人旅行者が店の前を通りかかった。今さっきラサに着いたらしく、薄汚れた服に大きなバックパックをかついでいる。髪の毛は長いが、男のようだ。その瞬間、リョウとマサは何だか言葉にならない言葉を発しながら店の外に走っていき、そしてその旅行者と熱い抱擁を交わした。
 そう、その旅行者こそ二人が康定で別れた一人川蔵北路からのラサ入りに挑んだ「第三の男」だったのだ。その旅行者は、いかにも何かを考え込んでいるかのような面持ちで、もったいぶったように言葉を発した。
「初めまして、タダヒコといいます。よろしく」

 ほろ酔い気分でヤク・ホテルの扉を開けると、そのタダヒコを囲むようにして話に花が咲いていた。彼は、俺と同じ部屋にチェックインしていたのだ。
 その話の内容は、一言で行ってしまうと「川蔵北路でいかに俺は苦労したのか」。二度も公安の検問に引っかかり、一度は成都まで連れ戻されたこと。その時に賄賂を要求されたこと。身分を隠して宿に入ったこと。巡礼トラックに凍えながら揺られていたこと。そんなエピソードが芝居がかった口調で語られていく。みんな腹を抱えて笑っていたし、リュウなんかは身を捩じらせながら「カカカカカ」と手を叩いて喜んでいた。
 ラサ最後の夜は、日付が変わっても笑い声の絶えない賑やかな夜となった。俺たち以外はアルコールの力を借りていないのに。そして午前3時過ぎ、カトマンズでの再会を約束してその場は解散となった。

 翌朝、6時過ぎに起きた。
 殆ど荷造りを済ませておいたバックパックを久し振りに担いで、リュウと二人でキレー・ホテルへ。部屋の連中はみんな寝ていたが、ジェニスだけが眠たそうに目をしょぼつかせながら、布団の中から手を振ってくれていた。
 7時頃にはフランク・ジェームズ・ローレン・ヨウコさんも合流し、そして俺たちを国境まで乗せてくれるランドクルーザーもやってきた。運転手は、ケサルと名乗った。30才位の真面目そうなチベタンで、ローレンたちの必要以上にフレンドリーな挨拶に、英語が喋れないからかそういう性格なのか、照れ笑いを浮かべながらちょっと会釈を返していた。
 早速、出発の準備に取り掛かる。フランク・ジェームズ・ローレンはただでさえでかいバックパックに、お菓子や水、そして酸素ボンベなどかなりのボリュームの荷物を持ってきていた。その荷物を何とかランドクルーザーに積みこんで、180cmを超える長身の3人がどっかり座ると、俺たち日本人が座るスペースはそれほど残っていない。俺とヨウコさんが助手席に座り、リュウは後ろの荷物の上に寝そべることになった。もちろん、交代制で。
 その後、検問で必要なパスポートのコピーを白人3人組が用意していなかったりするなどちょっとバタバタしたが、夜が明ける頃には、ラサを出ることに成功していた。
 ラサを西に出ると、暫くは舗装の行き届いた道が続いたが、ヤルツァンポ川にかかる曲水大橋を越えてしばらくしたところでヤムドク湖に向かうために未舗装道路に入る。そのまま、延々と続く山道を登りながらぐんぐんと高度を上げて、1時間ほどで高度4700メートルのカンパ・ラに到着した。ここからは、冬の茶色いチベットの大地に抱かれた、紺碧の水を湛えるヤムドク湖を一望することができる。
 俺たちは、その荘厳な美しさに言葉もなく見とれていたが、ただ一人それどころではない人間がいた。ローレンである。高山病のせいで、高度を上げ始めてから胃をやられてしまったらしく、しょっちゅう車を止めては吐いていた。出発前の高いテンションはどこへ行ったのか、真っ青な顔をしてうんうんうなっているので、たまにこちらから声をかけてやると、
「ダ、ダ、ダ、ダイジョウブ」
と返す(彼は英語でも日本語でも、どちらでもよくドモる)のだが、明かに大丈夫ではない。俺たちはヤムドク湖の景観堪能もそこそこに、昼食のためにナガツェへと向かうことにした。ここなら多少高度は下がる。
 ナガツェでは、グロッキーのローレンを除いたメンバーでチベタン・カレーを食べた。山を越えればインド・ネパールというカレー文化圏というチベットに、カレーっぽい食べ物があっても不思議ではない。出されたものを見ると、カレーっぽいソースで煮込まれたジャガイモとヤク肉が米にぶっかけられていた。カレー好きの俺としては喜び勇んでスプーンを口にした・・・が、ジャリッとした米の噛み応えと、何とも間の抜けたカレーソースにげんなりしてしまった。日本にいる感覚からすると、田舎の方が都会より安くて美味いものが食べられるようなイメージが(少なくとも俺には)あるが、ここはそうではないようだ。値段も、ラサと比べると破格だった。それでも俺は何とか完食したが、横にいたフランクなどは、一口食べただけで顔をしかめて皿を押し戻してしまった。贅沢なやつだ。

 ギャンツエに到着したのは15時頃だった。これは、ケサルが延々と同じチープなチャイニーズ・ポップのテープをかけ続けるという、トランスというか拷問のような空間から俺たちが解放された時間でもある。
 ホテルは特に決まってないらしく、ケサルが順番に知っているホテルに案内してくれるという。結局、何軒目かは忘れたが、街外れの建蔵賓館というホテルに、無事に荷物を置くことができた。フランクがちゃっかり値切っていたので、20元。悪くない値段だ。