山田寅之助『羅馬観光記』

山田寅之助『羅馬観光記』 白鳥斯文閣 明治41年2月 192p.

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 少し前から、塩野七生の『ローマ人の物語』シリーズがベストセラーを記録し、正月の特番でもローマ人が取り上げられるなど、日本で「ローマ」はちょっとしたブームになっている。ユーロ高になってきてはいるものの、ローマは相変わらず日本人憧れの場所らしい。
 さて、明治の時代に目を転じると、「世間幾多の史癖、美術癖、旅行癖ある人々を『羅馬へ羅馬へ』とそそのかすであろう」と徳富蘆花をして序文に書かしめた旅行記が出版されている。プロテスタントの牧師で、後に青山学院大学神学部の教授を務めた山田寅之助のイタリア旅行記、すなわち本書である。
 しかし、「これは」と思って中を読むと、その筆致に愕然としてしまう。印象遺跡をけなし、カトリックへを罵倒し、そしてイタリア語を貶める。山田の宗教的な背景や旅行時期(日露戦争直後の明治39年)のことを考慮しても、あんまりな内容である。これを読んで誰がイタリアに行きたくなるのか不思議なのだが、徳富にしてもロクに本文を読んでいなかったのだろうか。
 ちなみに、山田のこのイタリア旅行は、エルサレムを訪れた際に立ち寄った、いわば「おまけ」の旅だったようだ。彼のエルサレム旅行の顛末を記した『埃及聖地旅行談』( 教文館 明治39年10月)については、また改めて言及することにしたい。

ルート;
パリ→トリノ→ピサ→ローマ