“錫蘭巡礼”(四)

細輪疊という山があり頂上には長さ七尺餘りの巨人の跡がある。跡の一つには細輪疊山から三百餘里も離れた水の中にある。その山の材木は高くあるいは低く十重八重にかこみ(あたかも巨人の足跡に)朝拜しているかのように折れ曲がっている。(趙汝カツ『諸蕃志』)

 人々はただ待っていた。或る者は御堂の屋根によじ登り、或る者は恋人の肩によりかかり、或る者は冷えた指先を息で暖めながら、待っていた。
 立錐の余地もないほどに巡礼者たちは身を寄せ合って、スリー・パーダの頂上の東側に集まっていた。絶えず登ってきてはそこから動こうとせずに居座ってしまう巡礼者たちを、何とか散らそうとする堂守の手を何とかかいくぐって、男も階段が途切れて少し窪みになったところに何とか自分の場所を確保していた。
 頂上の中心の仏足石のある堂に向かって段々が続くのだが、そこは人で溢れんばかりだった。彼らは自らのうちにエネルギーを溜め込み、太陽が昇ると同時にそのエネルギーを大気に向かって解き放たんと待ち構えていた。
 男はその中に、一人の少年僧の姿を認めた。どこか投げやりな表情を浮かべてはいるが、静かなその深い目からは、太陽が昇るのを待ちわびている期待感のようなものが感じられる。
 孤高という言葉はこういうときに使うんだろうな。と男はふと思ったりした。

 そのまま数分も待っただろうか。ついに、太陽が東の山から顔を出した。
 その時、人々が一晩かけて蓄えてきた思いや願いが、すさまじいエネルギーとなって東の空に放たれる。光が人々の顔をオレンジに染め上げる。巡礼者が真言を唱え、旅行者がシャッターを切る。あまりに神々しい夜明けだった。
 男は打ちのめされたように、じっと東の空を見ていた。熱いものが込み上げてくるのが分かる。登り続けた一晩で、否、ここまでに至る道程で己の内に蓄積されていた思いが解放されているのだろうか。
 ふと気になって、あの少年僧の方を振り返ってみた。少年僧は、太陽の光に一瞬顔を輝かせていた。しかし、すぐに表情から感動の色は消えて、また深い表情に戻った。そして暫くすると、太陽に背を向けて仏足石を安置した御堂の方へと人ごみをかき分けていった。
30分もすると、淡いオレンジの光に南国の力強さが加わり、空が青く染まった。巡礼者たちも次第に踵を返して、御堂の方へと動き出した。
男は少し迷ったが、それには背を向けて階段を下りることにした。
俺は既に巡礼者ではない。巡礼者でない俺が、あの少年僧と同じく仏足石に祈りを捧げることができるか?果たして俺にはそんな資格があるのだろうか?
男はまるで何かに追われるように階段を駆け下りていった。すぐ後ろからは、両手をポケットに突っ込みながらも一段飛ばしに階段を下りてくる白人旅行者が迫ってきていた。
よし、競争だ。男は更にスピードを速めた。

<完>[[]]