“錫蘭巡礼”(二)

国には高い山があり、天に参るような大きな山々である。山頂には青美盤石があり、黄雅鶻石、青紅宝石は大雨があるごとに流れて来るので山の下の砂の中を探すと拾うことができる。(『星槎勝覧』)

 男が喫茶店をハシゴし、露店をくまなく見て廻ると、もう時計の針は19時を指していた。夕暮れの街は、道路で炊く飯の匂いと、車のクラクションと、若者たちの歌で、騒然と夕靄に包まれていた。
巡礼者たちは何かを期待して、抑えきれない感情を歌に託している。男も、気持ちの昂ぶりを感じていた。
スリー・パーダも、既に薄暮の中にその姿をうずもれさせている。山影に絡みつくように光が連綿と続いているのは、闇夜をおかして登攀する巡礼者たちの足元を照らす光なのだろう。
「俺の脚なら山の頂上まで行って、ここまで下りてくるのに2時間もかからないな。」
登山口近くのハクル売りの若者は、そう言って笑っていた。
「毎年この時期はそうなんだが、今日は混んでいるから、早めに発った方がいい。そうだな、1時くらいかな。」
バスターミナルから少し下ったところにある、増築中のホテルのオーナーは、そう言ってアドバイスをしてくれた。
 男は思う。確かに、富士山に比べれば大した高さでもない。あの若者ほどでなくても、俺なら2時間もあれば頂上にたどり着くだろう。しかし夜道でペースは遅くなるし、それに、この人出を考えれば、富士山と同じく頂上付近の渋滞は避けられない。
「0時に出発しよう。」
男は結論を出した。この場合、オーナーのアドバイスより1時間早い設定なのは、彼の性格に由来するものである。
 
 出発時間から逆算すると、19時半に夕食となる。男は、自分が泊まるホテルの1階のレストランに入った。
 やはり高いな。メニューを一瞥した男は苦々しく思ったが、顔には出さなかった。
「何が悲しくて、せっかくの休みに貧乏旅行しなければいけない?」
というのが彼の最近の口癖なのだが、悲しいかな、彼が未だに貧乏旅行の枠から抜け出せていないのは明白である。
「この野菜カレーのセットとライオンビールで」
一番安いセットでも、ビールを付けるところが違うのだ、と男は考える。
 振り返ると、いつのまにか学生らしき日本人のカップルが座っていた。
 おやおや、えらく爽やかな二人だな、と男は思う。旅を続け、旅を緒重ねていくうちにまとわりつく“しがらみ”のようなものが、まったく感じられない。
 聞けば、二人とも大学の2回生で、一度東南アジアを貧乏旅行した彼氏が、ヨーロッパ以外に行ったことがない彼女を連れて、今回の旅行に来たのだという。
 話は、今回のスリランカ旅行の話から、お互いに今まで過ぎ去ってきた国々のことに広がっていった。どこの安宿でも初対面の旅行者同士が飽きることなく繰り返す、一種のルーティーンだ。
旅を語りの対象とすることで、それが風化していくのではないかと思う。自分は過去の経験を切り売りしているのではないかと思う。その一方で、過去を語ることで、自分を確認することもできる。時には、それが手柄話めいていることもある。
 男のわずかばかりの経験でさえ、これから休みの度に旅を重ねていくであろう彼氏の目を輝かせるのに十分だった。そして、その横で微妙な顔をしている彼女の表情にも男は気付いていた。
どっちにしても羨ましい限りだな。男は残ったビールを一気に流し込むと、自分の部屋へと上がっていった。

男は23時半に目が覚めた。そして、日付が変わる頃にはもう宿を出ていた。
外はひんやりとした夜気に包まれていた。巡礼者たちは、山頂の寒さに備えるためにウィンドブレーカーにニット帽という出で立ちで、それでも下はサンダル履きである。中には毛布を抱えている者までいる。友人や家族と連れ立って、思い思いのペースで登っていくようで、どの顔を見ても晴れがましい。
男はパーカーを着込み、褐色の巡礼者たちと一緒に登山道へと入っていった。心なしか、歩幅がいつもより大きい。
登山口をくぐって暫くはハクルやお香などを売る露店が続くが、ものの5分も歩けば、巡礼者の足元を照らす明かりがポツリポツリとあるばかりである。
少し入ると、大きな公衆トイレもある。電気が無いため、どう見ても真っ黒い不気味な建物でしかないが、これでも有難い。急に催していた男は、懐中電灯を持参していた自分の用意に満足しているようだった。
その一方で、数こそ少ないが、登山道の脇に建っているお堂は派手でチープなライトで飾られている。巡礼客が聖なる山への挑戦を前にして、祈り、祝福を受け、そして決意を新たにする場所なのだ。
 30分も歩くと、山道は急な勾配の階段となる。ここまで来ると、もうお堂や露店は見えない。高度がかなり上がってきていることは分かるのだが、ちらほらと見える白色光だけでは、斜面沿いに紅茶の木が植えられていることがおぼろげに見えるばかりである。
 男が腕時計に目をやると、もう2時になろうとしていた。最初の高揚感も少し薄らいできたな。ここらで一息入れるか。
「俺はこの茶屋で休んでいくよ。先に行ってくれ。」
 先ほどから好奇心を剥き出しにして邪気の無い笑顔で絶えず話しかけてくる、キャンディから休みを利用して巡礼に来たというホテルボーイの少年を振り切ることの方が、実は狙いだったのかもしれない。
 登り進んでいくと、中ほどまでは茶屋や、ただ屋根があるだけの休憩所もあったりして、多くの巡礼者がしばしの休息をとっている。男の入った茶屋もその一つなのだが、まだまだ登山の前半に位置するためか、足を止める巡礼者はあまり多くないようだった。
「そうか、もう疲れたのか。仕方ないなぁ、日本人は。じゃあ、頂上で。」
そう言って少年は先を急いでいった。
 
 上を仰ぎ見れば、スリー・パーダの山影が大きく巡礼者の上に覆いかぶさる。階段はいよいよ険しくなり、眠気と疲労が押し寄せる。
 男が次第に無口になり、笑顔と根気をもって褐色の好奇心に応対する余裕が無くなっているのは、そのあしらい方を見ていればよく分かる。
自分へと向けられている人の視線が、言葉が、ただの好奇心や親切心から出ていることは十分すぎるほど分かってはいるのだが、その心は頑なに人を拒絶しているのだ。
 男は、次第に足元を見ながら黙々と階段を登り続けていた。

君の祈りとともに、我らを導きたまえ
我らは祝福をもって登る
この多くの人々とともに、我らは神、サマン・サマンを崇拝する
スリー・パーダに夜明けが再び訪れる
我らは神に祈る
この丘を歌い、登ることを
ああ太陽よ
    (ダイヤモンド社地球の歩き方 スリランカ』より)

 ああこの歌だったか。と男は思った。
 コロンボからキャンディ、そしてハットンへと列車を乗り継いできたが、その道中で若者の集団が歌っていた歌。それがスリー・パーダの神、サマンを讃えるこの歌だったのだ。
 男が振り返ると、少年が疲れ果てて階段に座り込むばかりに疲れ果てたガールフレンドを、歌って励ましている。少女も歯を食いしばって、また一歩また一歩と階段を登っている。
 彼らも自分も、ただこの山の頂で太陽が出てくるのを見るという、それだけのためにこの果てしない階段を登っている。
 ただ登るべし。しかして、感じよ。
 それだけのことなのだな。男は思った。