シガツェにて


 翌朝、起きると今度はリュウがグロッキーだった。
「げっぷが卵の臭いする…」
 アジアの旅行者の間で言われる「卵げっぷ病」というやつだ。何かの細菌が胃の中に入って、下痢やら吐き気(嘔吐)を引き起こす病気らしいが、正式な病名や詳しいことは分からない。けれども、これにやられてしまうと、げっぷが止まらない上に、その度に腐った卵のような臭いが口の中に広がる。そして、だるくて体が動かない。ラサでもホテルにいた旅行者の誰か一人は常にこれにやられていたし、後で知ったことだが、南アジアなどを旅する人間は結構やられっているらしい。ちなみに、俺はこの後、カトマンズでやられた。
 ともあれ、リュウは卵げっぷ病に苦しんでいた。今日も移動なのだが、幸い、目的地であるシガツェまでは3時間ほどの道のりだ。

 昼にはシガツェに到着していた。シガツェの宿は、2軒目に立ち寄ったフルーツ・ホテル。荷物とリュウを置いて、まずは食事に。
 ここで、道連れとしての白人のバックパッカーの難点に改めて気づかされることになる。
 海外を旅しているとよく目にするのは、白人の旅行者の多くが、何とかの一つ覚えのように朝食の際には"continental breakfast"を注文し、夕食には同じような旅行者が集まる(似非)西洋風の料理の店に行くシーンではないだろうか。もちろん、全員がそうだとは言わないけれども、結果として、やれ「ローカルフードは食べたくない」だの、やれ「高くてもいいからスパゲッティが食いたい」だの、こちらとしては考えられない要望というか我侭を寄せられることになる。
 そして、今回はフランク・ローレン・ジェームズの3人がこれを言い出した。挙句の果てには、3人とも「トゥクパ?モモ?何だそれ?」とか言う始末。彼らは、ラサでは一体何を食べていたのか?
 ギャンツェの時は選択肢がなかったので渋々食べていたらしいが、店もそれなりにあるシガツェではそうは行かないようだ。それで困るのは、そんなに金のない日本人3人組である(今回はリュウはいないが)。結局、今回はわりと高めな中華料理屋で落とし所は見つかったが、これから先が思いやられる一件だった。

 腹が落ち着いたところで、街歩きへ出かけた。チベット第二の都市シガツェは、比較的新しい時代に刷新されたらしく、無機質な格子状の区画が印象的だったが、歩く人々は、近郊に駐屯している軍隊関係者の漢人ばかりでなく、チベット各地からの巡礼者も多く集まってきていて、ラサとは比べるべくもないが、それなりに活気がある。実際、マーケットを覗いても、野菜や色々な製品が出ている。
 しかし、ここの見所は、何といってもパンチェン・ラマの居所だった屈指の名刹タルシンポ寺だろう。この寺は、街の西外れで、野犬に守られるようにしてその威容を誇っている。
 俺たちも、何はさておきこの寺に向かったのだが、ギャンツェの時より遥かに旅行者ずれした小坊主が、嫌らしく笑いながら「外国人は一人55元」と言うのを聞いて、今回は全員一致で迷わずUターンした。
「ありえねー。大体チベットの寺なんてどこも似たり寄ったりなんだよ。こんなの見る位ならホテルで寝てるわ」
 フランクたち3人はそんなことを言いながら帰っていった。まぁ確かに、別段素養のない俺たちのような人間にしてみれば、これまで訪れた寺と同様にゲルク派の寺なわけだし、段々とどれも同じように見えてきていたのも事実なので、その気持ちもわからなくはない。とは言え、それで帰ってしまうのも勿体ないので、ヨウコさんと2人で巡礼者に混じって寺の周りをコルラすることにした。
 比較的まったり寝そべっている犬の尻尾を踏まないように気をつけながら、これまでの旅の話なんかをとめどなく話しながら、寺の外塀に沿って、マニ車を回しながら左周り歩く。塀は寺の裏の山にもっかっているので、塀沿いに歩いていくと山のてっぺんまで登ることになる。山の上の大岩には、色鮮やかな仏画が描かれていて、その下の石の上で一人の年老いた巡礼者が腰を下ろしていた。さすがに、この急坂は老体には堪えたのだろう。
 俺たちが坂を登りきったところで、老人は微笑みながら声をかけてくれた。
「タシデレ!」
街が一望できる山の上に立って、この街はこれで十分だなと思った。