正岡藝陽『米国見物』

正岡猶一(藝陽)『米国見物』東京, 昭文堂, 明治43年, 688p.

旅行者:渡米実業団(56名に通訳・婦人等を加える) 
渡航先:アメリカ  渡航時期:明治42年(1909)

<本文>

 アメリカ太平洋沿岸の商工会議所の招待に応じて、日本の商工会議所から渋沢栄一をはじめとする実業家たちの団体(「渡米実業団体」と呼ばれた)が派遣された(メンバー)。
 時は、明治も末。排日の気運が高まりだした頃である。そんなご時世を反映して、一行は「平和の全権大使」という大層な旗を掲げている。

 この本は、彼らが8月19日から12月17日にかけてのアメリカを横断旅行の模様を、随行したやまと新聞特派員である正岡が、軽妙な調子で書き綴ったもの。
 一行は、各都市の産業施設を訪れたり、ベースボールを見物したり時のタフトマン大統領を訪問したりと、各地で楽しみながらも大歓迎を受けていたようだ。
 一方で正岡は、海外慣れしていないために文化の違いに戸惑う参加者の様子を描写し、こき下ろしている(渋沢栄一を除く!)。たとえば、「金ボタンがあるからといって門番にお辞儀している」「せっかく大統領に会っても、英語が喋れずまともな会話ができていない」だとか、「無学で不美人な日本人女性を同伴するのは国辱」だとか、「チップを出さないなんてケチだ」だとか、まぁひどいものである。続けて、「この有様では排日されてもも仕方ない」として、最後には「この一行は『平和の全権大使』を標榜しているが、実際はただの『観光団体』にすぎない」とトドメをさしている。
 正岡が、明治維新後の近代文明批判で名を馳せた論客でもあることを考えると、この筆致も「ムベナルかな」といったところか。

 ところで、この本はベースボールの項目がいやに長く、かつ書きぶりがいやに熱いな〜と思っていたら・・・やっぱり本当に野球に嵌ってしいたらしく、同時に『米国野球見物』(明治43年 博文館)という200ページ超の本も書いていた(こちらは画像はネット掲載されていません)。
 この本のベースは、アメリカの野球事情―ルールや当時の状況ばかりでなく、有名選手の紹介、ファンの熱狂ぶりだけでなく、野球機構組織まで―書いている詳細なレポート。しかし、最後では日本代表チームもアメリカに遠征すべき」「日本人もスポーツをもっとすべき」「海外に日本のスポーツをもっと紹介せよ」「運動をしたら学生も堕落しまい」などと、過激な議論を展開していて、その極論ぶりが面白い。

 日本におけるベースボールの歴史については↓もどうぞ。
第116回常設展示<日米野球交流史>(国立国会図書館)

ルート:
シアトル→ワシントンDC→シカゴ→クリーブランド→ニューヨーク→デンバー→サンフランシスコ→ハワイ