林董『有栖川二品親王欧米巡遊日記』

林董編 『有栖川二品親王欧米巡遊日記』 東京, 回春堂, 明治16(1883)年, 58p.

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有栖川二品親王とは、有栖川宮熾仁親王(1835-1895)のこと。「二品」とあるのは、父・幟仁親王が弘化4(1847)年に、二品・中務卿となったことによるものだろうか(熾仁親王自身は、三品)。
親王は、戊辰戦争東征大総督として活躍し、維新後も兵部卿・陸軍大将などを歴任した、当時の皇族の中でも「大物」である。明治15年(1882年)には、ロシア皇帝アレクサンドル3世の即位式明治天皇の名代として出席し、帰路には欧州諸国とアメリカを歴訪した。本書はその際の記録で、随行した林董(1850-1913)大書記官(当時)の手になるもので、帰国して16日後の明治16年2月18日付で上梓された(随行員は、他に大書記官・西徳二郎、陸軍少佐・山本清堅、侍医・林紀、外務三等属・加藤増雄など)。
一行は、明治15年6月18日7:20に赤坂の御殿を出発し、フランス籍の郵船・クナイス号に乗り込んだ。その後、香港(6/25)、サイゴン(7/2)、コロンボ(7/13)、アデン(7/21)、ミラノ(8/9)、サンクトペテルブルク(8/17)、モスクワ(8/23)、ウィーン(10/1)、アムステルダム(10/19)、ベルリン(10/22)、ボルドー(11/3)、マドリッド(11/5)、リスボン(11/12)、パリ(11/16)、ロンドン(11/24)、マンチェスター(12/1)、ニューヨーク(12/15)、ワシントン(12/13)、サンフランシスコ(1/3)と巡り(もちろん、各地で要人との会談、接待が相次いだ)、明治26年(1883年)2月2日2:00に赤坂の御殿に帰還した。
報告書自体が淡々と事実のみを記しているので、このように旅程をピックアップしやすくなっているのだが、特筆すべきは、その効率の良さであろう。この時代にこうも効率よく各地を巡遊した旅行記は、少なくとも筆者は他に知らない。
そういった意味でも、編者の林董以下の<ロジ担役人>の労を多としたい。