勉強会@中央線RT2017〜卯月を開催

(46) 2017/4/21 高円寺HACO 仲俣暁生マガジン航)「オルタナティブとしてのローカルメディア」

10周年目第一弾のネタは「ローカルメディア」にしました。
各地の図書館を巡るあれこれの見聞、数年前の実家処分、従兄弟たちの関西圏への回帰・定着、10年以上住む中央線沿線への目線、地方で本屋をやりたいという若者との邂逅…ここのところ気になっていた「ローカル」という言葉を、少し前に出た本を通じて知った「ローカルメディア」という言葉を通じて一度考えてみようというものです。

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

ローカルメディアのつくりかた:人と地域をつなぐ編集・デザイン・流通

もっとも、雑誌などで前向きに取り上げられる田舎や地方といったイメージに収斂されるような「ローカル」には、東京に定着することを選んだ私自身、それほどシンパシーや前向きな展望も感じているわけではありません。都築響一さんが描くようなロードサイドのイメージの方が、むしろしっくりくるような実感を持っていますし、それが東京定着を選んだ理由でもあります。したがって、今の私には「東京の目線」でローカルについて語り考えることしかできません。
圏外編集者

圏外編集者

仲俣さんには、マガジン航が2016年から2017年にかけて主催したセミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の話を下敷きに、「東京在住の出版人」の目線からローカルメディアについて話をして欲しいとお願いしていました。
それを踏まえて仲俣さんが事前に書き起こしてくれたストーリーがこちら。自身が東京で体験してきた80年代以降の雑誌を中心としたメディア史を振り返りつつ、煮詰まりつつある?東京の地場産業としての出版メディアの「オルタナティブメディア」としてローカルメディアをとらえられないか?という問題提起です。

■概要
地元密着型の「ローカルメディア」への注目が集まっている。地方出版やタウン誌といった従来型ローカルメディアとは別の場所で、地方文化誌やリトルプレス、地方企業のPR誌が面白くなっているからだ。1990年代から2010年代にかけて、DTPやウェブの普及、地方が抱える深刻な問題の解決手法としての期待など、ローカルメディアをとりまく環境は大きく変わった。はたしてローカルメディアは、既存の出版やマスメディアの危機に対するオルタナティブとしてどこまで期待できるのか? 連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の経験を踏まえての「マガジン航」編集発行人の仲俣暁生による報告。

■話の流れ
最大の問い:なぜ、日本のメディア(とくに出版)はこれほどまでに東京一極発信なのか?それこそが出版不況やメディア不信の元凶ではないのか?
1:個人史から。東京出身、東京近郊育ちの人間のメディア観=外部を知らない。
2:東京のローカル雑誌「シティロード」の経験(地方タウン誌の時代。1970〜80年代)
3:グローバル化に対応できなくなった東京のメディア(とくに雑誌)。1990年代〜
4:Act Local:『谷根千』の奇跡(1980年代〜2000年代)
5:「印刷されたブログ」としてのリトルプレス(2000年〜2010年代)
6:東日本大震災を経ての気付き(『AERA』の「放射能が来る!」への違和感)
7:『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)の出版(2011年)
8:出版は東京の「地場産業」にすぎないという仮説(著者も読者も東京にしかいない?)
9:ローカルメディアの再発見(Only Free Paper, 本屋B&B
10:「文化誌が街の意識を変える展」(2014年3月〜4月)
11:影山裕樹『ローカルメディアのつくりかた』、ローカルメディアセミナー(2016年)
12:来場者と議論したいこと:「地域雑誌」にとどまらない展開はいかに可能か?

結果、地方出身東京在住、東京生まれ東京育ち、地方へIターン…様々な来歴を持つ方々を迎えた今回は、自らの経験に引きけてそれぞれのローカル/ローカリティ観を語り合う場となりました(やはり、こういう自分事に引き付けられるお題は盛り上がります)。
ただ、再確認できたこともありました。全部書くと長くなるので、ここでは2つに絞ります。
一つ目は、"地産地消"のローカルメディアの面白さです。
『ローカルメディアのつくりかた』で紹介されている取り組みは興味深いものばかりですが、テキストを読む限り、『みやぎシルバーネット』、『ヨレヨレ』といった地方の特定のコミュニティで作成・消費されるメディアの方が、「ユニークさ」、「面白さ」という点で私には面白そうに思えます。『ラコリーナ』のように強力なスポンサーシップの下、親会社と地域の宣伝のために作成されるクオリティの高いメディアも素晴らしいのですが、メディアによってはそのコンテンツイメージと広告主のイメージがまるで食い違うことに象徴されるように、どこかちぐはぐな印象を持ってしまうものもあります。メディアごとに目的そのものが異なることは理解しているつもりですが、「地産地消」でないメディアは、ローカル発のメディアであっても、ローカルメディアではないような気もします。
二つ目は、地方における編集者とメディアの邂逅による可能性です。
仲俣さんは「各地にライターもデザイナーもいるが編集者がいないが、地域のシガラミの中でもがく編集者がいないとメディアにならない」という趣旨のコメントをしていましたが、ある程度の編集スキルを身に付けるとなると、少し乱暴ですが、出版を地場産業として抱える東京しかないのでしょう。様々な理由で地方に拠点を移す/戻す人がいますが、編集スキルを持った人と地縁・趣味・施設…何でもいいですが、何がしかのローカル・コミュニティと出合ったときに、オルタナティブとしてのローカルメディアが生まれる可能性が出てきそうです(もちろん、簡単に出来ること/続けられることではないのですが)。
こういう集まりで、バックグラウンドが異なる参加者全員が「これだ!」という"答え"を持って帰れるということはあり得ず、今回もそうでしたが、何か"もやっとしたもの"をそれぞれが持ち帰ることになります。ただ、敢えて足りないものがあったとすれば、ローカルメディアを実践している参加者と、ローカルメディアの作り方とコンテンツをめぐる具体的・実践的な語りです。
その場では「ローカルメディア縛りのビブリオバトルもいいかも」なんて言いましたが、機会があれば続編を企画したいと思います。

2017/5/1追記
当日の話を、仲俣さん本人がまとめられていたので、御紹介。
ガラパゴスからトランス・ローカルへ