これから「ライブラリー」を考えるための振り返り


 ここ2年余りの間に、3つのトークイベントに関わる機会に恵まれました。2011年の2つは石けんブラザーズ(2010年の図書館総合展で開催されたL-1グランプリ出場のために結成したユニット)名義で実施したもので、昨年に開催したものは勤め先の有志で開催したものです。

 これまで「やりっ放し」で放置してきたのですが、さすがにまずいので、ここでひとまずの振り返りをしておきたいと思います(都度都度考えた企画を、今になってあたかも一連のものとして考えてきたかのように書いているので相当苦しいのは書いている本人が一番良く分かっているのですが…)。
 一連のトークイベントの出発点となったのは、L-1グランプリで行ったプレゼンテーションです。ここでは、(1)twitterustreamを多様な「知」が拡散している、(2)これからの図書館はこれらの「知」へのアクセスも提供するべき、(3)また、図書館自身も「知」を拡散する媒体となるべき(この時は出版事業の展開について言及)、という趣旨のプレゼンテーションを行いました。
 2010年という年は、twitterustreamといったWebサービスの国内普及が進み、またiPad等の電子書籍リーダーが登場して(何度目かの)「電子書籍元年」と呼ばれた年です。「図書館」―僕としては、より広い意味として"ライブラリー"と呼びたい―という概念を拡張していくという主張は、この流れの中では比較的受け入れやすかったのかなという気がします(ここで獲得した賞金が、翌年のトークイベントを行う元手になりました)。
 これを受けて開催したのが、「『知』が拡散する時代のアーカイブ・キュレーション」です。石けんブラザーズのメンバでもある氏原茂将さんのファシリテ―ションの下、関心空間のファウンダーでありWebに造詣の深い前田邦宏さん、アートアーカイブの研究者であり、慶應義塾大学アート・センターでその実践を行う上崎千さん、編集者でありタイポグラフィの研究者でもある古賀稔章さんによるパネルディスカッションを行いました。
 このパネルディスカッションを企画した意図としては、「知」が拡散される次のステップとして、それらをどう蓄積(アーカイブ)し、提供(キュレーション)するのかを考えたいということがありました。アーカイブを形作るコンテナ(容器)のあり方、アーカイブが本来持つ傾き等、ここで提示された論点は多岐に渡るのですが、僕が最も重要だと思ったのが「再編集され続けるアーカイブ」という概念です。ディスカッションの中では、「公」たるアーカイブに、人手を介するのであれコンピュータを介するのであれ、個人の知―ソーシャルメディア上で流れているものも含めて―をいかに取り込むか、その「取り込む」という行為の過程・結果が「編集され続ける」ということではないかという話をしていたと思います。
 この続編として企画したのが、トークイベント「「知」が拡散する時代の「公」と「私」」です。前のイベントで提示された「公」のアーカイブの「私」による再編集というものを考えるときに、図書館をめぐる「公」と「私」の関係性を考えなおしておきたいという意図で企画したものです。この時は、文学館の研究を行う岡野裕行さん@皇學館大学、図書館も含めたメディア論を扱う桂英史さん@東京藝術大学多摩美大図書館の建築にも携わった建築家の中山英之さんと前回に引き続いて上崎千さんに登壇して頂きました。
 このイベントでは、それぞれのレクチャーの後にパネルディスカッションを…と考えていたのですが、僕のファシリテ―ションがまずく、それぞれのレクチャーだけでほぼ時間切れとなってしまいましたが、ここ(その後の打ち上げで出た議論も含めて)で出された最重要キーワードは「公私混同」という言葉だと思っています。「公」と「私」という概念も対立するものではなく、入り混じるものだということを前提として物事を考えて行く必要がある、ということです。
 僕の狭いキャパシティではこの辺りでちょっと煮詰まってきたので、ちょっと視点を変えて、(アーカイブもライブラリーも含めて広い意味で)「学びの環境」について実践例を踏まえながら考えてみようということで企画したのが、千葉大学アカデミック・リンク・センターを手掛ける竹内比呂也さんとまちライブラリーを仕掛ける磯井純充さんをお招きして開催したトークイベント「学びの環境を再定義する」です(ここ数年来図書館界では「場」という言葉/機能に注目が集まっていますが、「場」にコンテンツ、人、そしてプラスαを加えたものとして「環境」という言葉を採用しました)。
 図書館という学びの場を再定義しようとするアカデミック・リンクと、新しい学びの場を再定義しようとしたら図書館に接近してきたまちライブラリーという全く別物の2つの取り組みを同時に俎上に乗せようとする無茶な組み合わせではあったのですが、両者が重要ポイントとする共通項として「多様なファシリティを活用して、ユーザにどのように刺激や気付きを与えるか」という点(敢えて換言すると「学びのファシリテーション」でしょうか)を確認することができました。
 「拡散する知」、「再編集」、「公私混同」、「学びのファシリテーション」…
 これらの一連の対話の中から浮かび上がってきた<材料>を今一度シャッフルして、これからの「ライブラリー」のをより具体的な一つのあり方として提示することを、(ビブリオバトル創始者である谷口忠大さんの言葉を借りるならば)「爆発的な情報化社会の濁流の中で、情報との「出会い方」について、「サードプレイス」としてのあり方についてなんらかの変化を向かえる時期」であるこの一年の目標にしたいと思います。
 そしてその際には、「勉強会@中央線NEO」という"ゆるやかな学びの場"のライフサイクルから得られた経験や、Library of the Yearの運営を通じて目の当たりにしてきた最近の「ライブラリー」という概念の拡張という流れも踏まえつつ、色々な方々と対話していきたいと思います。

※文と写真は無関係。写真はいずれも2011年に奈良で撮影したもの。