ブータン国立図書館には本がない!?

「本のない図書館について考えるための本を持ってきて」ということで先日、飲み会をやった*1。その際に僕が持って行ったのがチベット仏教学者として有名な今枝由郎さんの著書。

ブータンに魅せられて (岩波新書)

ブータンに魅せられて (岩波新書)

タイトルからすると図書館には関わりがなさそうだが、本書の裏テーマの一つがブータン国立図書館の<近代化>なのだ。今枝さんは1981年から1990年までの10年間、「国立図書館顧問」という肩書でブータンの首都ティンプーに滞在した。ほぼ鎖国状態にあったブータンへの入国・滞在許可を得るまでのドタバタやブータンに生きる人々の暮らしについて興味深い記述もあるのだが(そしてそれがこの本の主題なのだが)ここでは飛ばして、今枝さんの関わった国立図書館についての記述に着目したい。

仏教学者である今枝さんは、館長であった高僧のツテでブータンに入ったのだが、その目的は他国には残っていない経典の研究というのが大きなものだったらしい。だが、1967年に設立された国立図書館(ちょっと大きめの民家程度の建物で、経典を収めていることから寺院扱いだったそうだ)には質量ともに十分な経典が所蔵されていなかった。理由は簡単で、信心深いブータン人は経典を本来あるべき場所―それは村々にある寺院だったりする―にあるべきだ(礼拝対象だったと換言してもいい)と考えていて図書館などで保管するという発想がなかったからだ。おまけに、所蔵されている経典にしても雑然と収蔵されているだけで目録もなく、まともに検索・閲覧できる状態ではなかった。これも理由は簡単で、館長である高僧の頭の中に全ての経典に関する情報がインプットされているので、そういったものを用意する必要がなかったからだ。
そこでどんな図書館サービスを提供しているかと言うと、「経典のレンタルサービス」。村々でちょっとした法要を営むとなると、それなりに経典が必要になるので村で持っていないものを国立図書館から借りるというのだ(むろん、僕たちが一般的に思い浮かべる図書館もないわけではない。大学図書館ティンプー公共図書館がそれだ。*2。)。
ともかく、そんな状態だったので、今枝さんは<近代的>な新国立図書館の建設を図書館を所管する大蔵省をはじめとする政府に要望し、そして予算を獲得して新図書館を建設してしまったのだ。1984年のことだ。更に、蔵書(経?)管理のためにコンピュータシステムを導入することにしたのだが、ブータン公用語であるゾンカ語を処理できるシステムがなかったので、それすらもマイクロソフトと協力して開発してしまい、果てはそれがブータンでのコンピュータ業務導入の端緒になったという*3現在のブータン国立図書館は、OPACの提供だけでなくアーカイブ事業やデジタル化事業にも取り組んでいるが、それも(Webサイトには出てこないけれども)今枝さんの尽力があったればこそというところだろうか。
本の紹介が長くなってしまったが、僕がこの飲み会の場で言いたかったのは、「図書館に本がなくて経典があった」ということではなくて、

  • 「図書館」とは、そもそも共同体のアーカイブとして現在と未来の利用に供される機能である。
  • 何をアーカイブするのか&それをどうサービスとして提供するのかは、その地域・時代によって決まる。

ということ。<図書館>とはそもそも何のための組織/機能なのか?ということを考えさせてくれる一冊としても、この本を読むことができるのではないだろうか。

まったくの余談だが、僕も20001年初頭にプンツォリンというインド国境の街でブータン人の家に一週間ばかりお世話になったことがある。世話をしてくれたみんなとの連絡は途絶えて久しいが、今も元気にしているだろうか?