神田正雄『西清事情』

神田正雄 『西清事情』 東京, 農事雑報社, 明治38(1905)年, 191p.

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神田正雄(1879-1961)は、早稲田大学出身の新聞記者・政治家。彼が大阪朝日新聞に入社する明治40(1907)年だが、大学卒業後の三年あまりを、当時日本にその様子が伝わっていなかった四川省で過ごしていた。重慶府達用学堂の教習として招聘されたためである。神田は3年の赴任期間が終わってから半年間四川省を行脚し、帰国してから彼の地の地理・風俗・歴史をまとめた。その成果が本書である。
日露戦争開戦前夜の当時、日本のユーラシアへの視線はロシア、即ち中国の北部に集中していた。その一方で、同盟国のイギリスは揚子江沿いに勢力を伸ばす一方で(日本と競合していたが)、ロシアが新疆経由で狙っていたチベットへも、インド・ネパール側から触手を伸ばそうとしていた。
チベットを押さえられると、四川が危うくなり、四川が危うくなれば、中国の南部はイギリスの勢力下に入る・・・。「敵正に本能寺に在り」と、真の脅威はイギリスだと神田は看破し、「天府」と呼ばれる程に土地が豊かで地下資源も豊富な四川の重要性を説き、日本の資本の進出を促している。
中央アジアを中心に展開された、英露のユーラシアをめぐるヘゲモニー争いである「グレートゲーム」。日本では等閑されていた四川省もその中に位置づけ、日本の進出の必要性を説いた神田の先見性は、いま一度評価が必要だろう。