少し前に出た、武内紹人「チベット文明のユニークさと普遍性:古文書研究の視点から」(『図書』2008 年 10 月号)は、チベット問題を考える上で、必読の文献だと思う。
ここで、武内氏はチベット古文献学の最新の研究成果を踏まえつつ、
- チベット仏教とチベット語(とくに書き言葉)がもつチベット文化の普遍的性格。10Cから11Cにかけて、チベット語とチベット仏教は中央アジア・東北アジアの多言語・多民族社会の文化的な共通軸だった。そしてそれは、13Cモンゴルのチベット仏教への帰依につながった。
- チベット高原を統一し国家体制を整えたチベットは中央アジアに進出し、シルクロード交易の覇権を唐やウイグルと争い、八世紀後半には大帝国をつくりあげた。結果、中央アジアではチベット語が普及し、その影響はチベット勢力の後退後も残った。
- 11C以降インドから新たに導入された仏教とすでに中央アジアに流布していた仏教が一体化することで、現在につながるチベット仏教の枠組みが形成された。結果、輪廻転生思想の定着によるお墓の廃止と鳥葬の普及、観音菩薩への真言であるオムマニペメフムや風にはためくタルチョーなどわれわれにとって身近なチベット文化の多くがここから始まった。
- 7C以降、多様な要素を抱え融合して来たチベット文明の形成は12Cに一応完成し、その文化的アイデンティティは、その後のモンゴルによる庇護やダライラマ政権の成立を通して現代まで変わることはなかった。
といった点を指摘している。
こうして形成されてきた「チベット」の存続が、改めて世間の耳目を集めた今年3月の一件に象徴されるように、危ぶまれているわけだが、武内氏の、特に末尾のこの文章は歴史学を齧った者としては、非常に理解・共感できるものなのだが、皆さんはどうだろう?
チベット問題には、人権・言論の自由・経済・生活環境・自然環境・自治などおおくの異なるレベルの問題が含まれている。北京を相手にこれらを交渉していくのは大変だし、落としどころが難しい。ただ、チベット文明の将来については、すこし長いタイムスパンで考えてみる必要があるだろう。
チベット文明は、長い歴史を通じて形成されて来たユニークなものだが、政治状況はともかく、世界遺産のように今後そのまま維持するのは難しい。遊牧・鳥葬・婚姻などチベット独自の文化もある程度改変を余儀なくされるかもしれない。ただ、そこにチベット人自身の意志と選択が活かせる環境が最低限必要だと思う。
現在の危機的状況のなかで、ダライラマがチベット本土と亡命チベット人をつなぐ唯一の象徴になりつつある。確かに、ダライラマの存在はチベットの一体化にとって不可欠だし、現ダライラマの個人的魅力はとても大きい。とはいえ、ダライラマ政権の確立は一六世紀、チベット文明はそれよりはるかに長く、ダライラマ=チベットではない。現ダライラマ一四世が亡くなった時、ダライラマ制度は事実上崩壊するかもしれない。その時、それにどう対処し、チベット文明にとってどんな新しいページを開くことができるか、それを念い描くことがチベット人はもとよりチベットを親愛するひとびとの大きな課題ではないだろうか。
「そんな悠長な!」と思われるかもしれないが、過去の正確な事実・知識に基づいた長期的な視野を涵養し、提示するのが歴史学だとすれば、このエッセイはその王道を行くものではないだろうか。