稲垣満次郎『南洋長征談』

稲垣満次郎 『南洋長征談』 東京, 安井秀真, 明治26(1893)年, 84p.

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稲垣満次郎は長崎生まれの外交官である(タイ駐在公使だった1900年には、釈迦の遺骨の日本将来に際して中心的な役割を果たした)。ケンブリッジ大学への留学経験を持ち、早くから論壇で活躍していた。
イギリスからの帰国後は学習院高等商業学校で教鞭を執っていたが、その際に(恐らくは)学生向けに行った講演を書き起こしたのが本書である。当時の日本では、国内の人口過剰という問題もあって、「南進論」がもてはやされた時代でもあり、稲垣も南洋への積極的な植民・進出を説く南進論者として名を知られた存在だった。
1892年、稲垣は長崎を出発し、香港、サイゴンシンガポールニューカレドニア、ジャワ、マカオ、台湾を巡った。そこで稲垣が目にしたのは、収奪する列強諸国と収奪される現地人の間にある緊張関係であった。これを踏まえ、稲垣は日本の南進政策における植民については、日本人をその土地に送り込み、そこを日本国の一部として(しかし独自に)発展させていく方法をとるべきだと考えた(彼はそれを「新法」と呼んでいる)。ここでそのモデルとされているのは、オーストラリアやニュージーランドといった国である。
この稲垣の考えの是非の判断を後世に生きる僕が下すことは控えるが、当時の日本人にとって、南洋は大きな可能性を秘めた空間だったことは間違いないだろう。