池田有親『アラスカ氷山旅行』

池田有親『アラスカ氷山旅行』東京、雲梯舎、明治36.5, 186p.
<本文>

池田は、新潟県新発田の生まれ。明治22年(1889年)に渡米し、カリフォルニアの農場で小作農として働いた後、明治31年(1898年)2月10日にアラスカへと旅立った。折しもゴールドラッシュに湧くアラスカには、一攫千金を夢見た男たちが世界中から集まっていたが、池田もその一人だったのだ。
池田は、アラスカのバルデスから、同行の大堀某と橇に荷物を積み込んで氷山へと分け入っていく。ある時は木を切って舟を作り、ある時は滑落の恐怖と戦いながら氷河を横断し、ある時は土地を耕して作物栽培を試み、ある時は蚊に苦しめられ、ある時は先行の同類が残していった食物で食いつなぎ・・・。しかし、池田も大半の夢破れた男たちと同様に、金脈・銅鉱についぞ巡り合うことはなかった。
バルデスに戻ったときには、既に8月。この『アラスカ氷山旅行』は、4ヶ月にもわたって金脈を求めてアラスカを彷徨した池田たちの苦労が盛り込まれた日記が基になっていて、非常に鬼気迫る内容になっている(挿絵がゆるすぎるのは気になるところだが・・・これとかこれとか)。

その後の池田も面白い。『無資奮闘成功家実歴―最新実業家立志編』(大阪、実業力行会、明治43.9)所収の「 大冒険の末遂に金銅鉱を発見せる 池田有親」によると、バルデスに到着した池田たちは、テントで宿屋を営んだりして何とか金を工面し、バンクーバーに帰還したようだ。そして、バンクーバー沿岸での鰊漁(肥料として日本・中国に輸出)での成功と挫折を経て、遂にバンクーバー沖のクイーン・ シャルロット島に金・銅鉱を発見し、その採掘事業で大成功を収めたという。
池田が何時亡くなったのかはわからないが、末永國紀「カナダ・ヴァンクーヴァーにおける日系カナダ人の居住地域と営業活動―1938年の調査と滋賀県出身者を中心に」(『経済学論叢』57-4, 2006, 679-734)に掲載されている1938年時点でのバンクーバー居住の日系人の一覧表に、池田の名前が見えることから、少なくともこの時点までは存命だったようだ。