二宮峯男『馬来半島事情』

二宮峯男『馬来半島事情』 東京, 内外出版協会, 明治31(1898)年, 157+48p.

<本文>

本書は、イギリス統治下のマレー半島=現在のマレーシアの地誌、イギリスの植民地政策、各州スルタン国、そして華僑(特にページを多く割いている)などについてまとめ、そして日本人の彼の地への農業殖民を奨励するレポートである。ただ惜しむらく、緒言に「余が明治廿七年来書名の地方を漫遊せしの日、見聞の侭記せしもの及横文を抄訳せしもの等を纏めて之を一冊としたるもの」云々とあるが、本書を読んでもこの二宮という著者が何者でどうしてマレー半島に渡ったのかは分からない。
しかし、本書の出版より数ヶ月前の明治31年4月に二宮が大隈重信に宛てた手紙早稲田大学に残されているのだが、ここに履歴書が付されているので、そこから情報を拾ってみると………二宮は明治4(1871)年、愛媛県生まれの士族。同志社で学んだ後、明治25(1892)年に横浜のイギリス領事館に日本語教師兼通訳として就職し、そして、明治27年2月にシンガポールイギリス海峡殖民地政庁に移った。明治29年1月からは日系商社の駐在員として引き続きシンガポールに滞在し、明治30年12月に帰国した………ということが分かる。本書はこのシンガポール滞在の経験をもとに書かれたもので(植民地政府では華人参事局、即ち華僑の管理に従事していたようで、本本書で華僑に関する記述が充実しているのも頷ける)、そして大隈に手紙を送ったのは、帰国後の就職活動の一環であったと推察される。
さて、二宮のその後であるが、この手紙が奏功したのかどうかは不明であるものの、明治31年のうちに三井銀行に就職したようだ。昭和2(1927)年の雑誌『人道』4月号で「二宮峯男君之面影」という追悼特集が組まれていて、明治31年三井銀行に入行したこと、三井信託の相談役まで出世したこと、そして昭和2年に亡くなったことが分かる。同志社の同級生(徳富蘇峰も含む)や三井の同僚の寄稿からなるこの特集記事からは、二宮の真面目で温厚で、そして勉強熱心な人柄は伝わってくるが、20代を過ごしたマレー半島についての記載は一切ない。