マナリへ(1)


 ダラムサラで数日を過ごした僕には、残りの旅をどうするかという意味において、幾つか選択肢があった。
 ようやく馴染んできたこの小さな街でもうしばらくのんびりするか、ル・ココルビジェの待つチャンディガールに戻るか、あるいはいっそのことデリーまで戻って躍動する都市の喧騒に身を委ねるか。日本にいる知人からしてみれば本当に下らないこの悩みを一生の重大事かのような面持ちで抱えながら、いつものようにホテルのベランダに腰かけてガイドブックをパラパラとめくっていると、とあるキーワードが目に飛び込んできた。
 マナリの温泉―。
 何でも、マナリの近郊には温泉が出るという。その瞬間、世界一の風呂好きを自認する国民の一人としての血が騒いだ。ヒマラヤの麓で温泉。何と素晴らしい響きだろうか。そもそも、こういった旅においては、湯船にザブンということはまずない。暖かいお湯の中で、冷え切った身体を、指の間まで全開にしてくつろげたらどんなに気持ちがいいだろう。
 こうなると居ても立ってもいられない。飲みかけのビールの残りを一気に胃袋に流し込み、ホテルのマネージャを呼ぶために階段を駆け上り、1時間後にはマナリまでのタクシーの予約を済ませていた。ちなみ、この時期はツーリスト向けの夜行バスは終了しているし、12時間かかるローカルバスは自分としてはあり得ないということで、躊躇なく金を積んでタクシーに乗るのは、サラリーマン・バックパッカーたる所以だろう。
 そんなわけで、タクシーを8時間ほどぶっ飛ばしてマナリまでやってきた。ここまで来ると万年雪を頂いたヒマラヤが迫り、突き抜けるような青空と深い緑のヒマラヤ杉のコントラストが素晴らしい。峠を三つほど越えればラダックへと抜けることができる、賑やかな宿場街だ。とは言え、街の中心部はデリーなどから来たカップルでごった返し、とてもではないがのんびり過ごせるような街ではない。
 その日はすでに日が暮れ始めていたということもあって、バススタンドの近くにあるラダッキ経営の食堂でチョウミンを食ってすぐ街の裏手の高台にあるホテルに引き籠った。