ヘルシンキ滞在記:其の壱


 ヘルシンキは静かな街だ。
 朝、駅前の広場を横切って街の中心の方へと歩いていくとき、何度か道路を渡る。その道路はトラムや車が行き交う賑やかなものなので、そこには当然、信号がある。信号が青になると、街の雑踏の中では聴こえるのかどうか微妙なくらいの「カタカタカタ」という音が出る。
 これが日本だとどうだろう。「信号が青になりました。気をつけて…」なんていうメッセージや耳につく「ピッポーパッポー」という音が大音量で流れる。誰にでも聞こえるようにアナウンスするということの意味は否定しないが、どうにも五月蠅い。

 列車でも同じことが言える。ヘルシンキから170kmほど離れたタンペレという街に行ったときのことだ。タンペレまでは1時間に1本は出ている急行で行ったのだが、その列車も静かだった。ターミナルになっている駅で止まっている車両に乗り込んで、本を読みながら時間を潰していると、「何か揺れるな」と思ったら、列車が動きだしていたのだ。
 もちろん、車内のアナウンスも必要最低限。駅に停まる直前に手短に駅名を言うだけだ。不案内な僕たち旅行者にすると、聞き逃して乗り過ごしてしまうリスクが増えるのは辛いが、この静かさに慣れてしまうと、日本に戻ったとき、そのギャップに戸惑ってしまう。

 静かな街に住む人たちももまた、基本的には静かな人たちだと思う。
 ヘルシンキに到着したその日、短い夏の終わりの余韻を惜しむかのように、駅前広場でイベントが開かれていた。イベントと言っても、特設ステージでのライブとちょっとした屋台が出ているだけで、土曜日だと言うのに人影もさほどでもない。東京の代々木公園で週末にやっている「イベント」とはかけ離れたのどかさだ。
 出演するのは、アイドルっぽい女の子やガールズ・ロック・バンド、ヒップホップ・グループなど雑多なジャンルだが、どれもノリの良い音を出していた。普通なら身体をくねらせて踊る人が少しはいても良さそうなものだが、ほとんどの人が特に掛け声も手拍子もせずに見ているだけでなのだ。別に良いと思っていないから…というわけでもないようなのは、みんなその場から立ち去らずに音楽を聴いていることからも分かるのだが、このステージと観客のギャップの甚だしさは、なかなかお目にかかれない。

 僕も最初は奇妙に感じたのだが、コンビニや土産屋に入っても必要最低限のことしか言わないけれど、決して無愛想なわけではない彼らと接するうちに、そんなヘルシンキの空気に馴染んでしまった。そんなわけで、喧噪に包まれた東京の街を歩くとき、僕は8000km近く離れた静かな街を懐かしく思い出す。