サマルカンドへ

翌日は、特急レギスタン号でサマルカンドへ(1人8000スム)。タシケントを朝8:00に出発して、ソグディアナの中心地であったサマルカンドまでは3時間半の道のりだ。
車窓を流れる風景は折からの曇天で心踊らせるものでなく、車内販売も係員がやる気なく駄菓子を売ってるだけでしょぼい。正直、列車の旅としてはイマイチである。それでも、車内は、週末のサマルカンド小旅行とシャレこむ高麗族の若者たちや、帰省と思しきウズベク人の家族連れで賑やかだった。にも関わらず、車内のビデオではお色気シーン満載の香港映画が流される以外は特に問題もなく、無事にサマルカンドに到着した。
ちなみに、ウズベキスタンでは、橋や鉄道、地下鉄といった施設は写真撮影が許されていないので、その手の写真は殆ど無い(下の写真はサマルカンド駅だけど)。

さて、サマルカンドである。中国の史書では「康国」と記され、ここにルーツを持つソグド人は中国で「康」姓を持つことで知られている(「康待賓」とか)。一般的には、ティムール帝国の古都として知られているのだが、「ウズベキスタンでソグドの痕跡を探る」という旗印を掲げる私にとっては、正直なところどうでもいい。ソグド時代の都市遺跡アフラシアブの丘に佇んで、古のソグドの人々に思いを馳せることが私の目的なのである。
ちなみに、サマルカンドの南東60kmの地点には、ソグド語でマイムルグ(中国の史書では「米国」。ここにルーツを持つソグド人は中国では「米」姓を持つ。「米継芬」とか)、現在の地名ではパンジケントというオアシス都市がある。ここにも、ソグド時代の遺跡や博物館があって、本来であれば外せないのだが、ここは現在の国家の領域でいくとタジキスタンになってしまう=手配等何かと大変、ということで飛ばした。

なお、サマルカンドの宿はFULKAT hotel(別館)。観光の中心レギスタン広場の裏手の旧市街の中に位置する老舗ホテルである。