ヒマラヤを跨ぐ

 早朝、デリーを飛び立ったJet Airways機は、一時間もしないうちにヒマラヤ山脈の上空に到達した。
 隣の席の男はアシュラと名乗った。レーに住むラダッキだという。名前から察するに、仏教徒なのだろう。薄茶色の目と彫の深い顔立ちで、ちょっとお洒落な口髭を蓄えていた。機内なのに赤いジャンバーを着込み、ニット帽までかぶったままだった。「降りると寒いから」ということらしい。
 不意にアシュラが、サービスされた機内食を頬張る僕の視線を、窓の外へと導いた。
 そして、僕は言葉を失った。
 窓のすぐ下には、標高6,000〜7,000メートル級の山々の稜線が折り重なってどこまでも続いていた。この景色は決して地を歩く者には見ることができない、ある意味では空を飛ぶ者の特権なのだ。
どこまでも蒼い空の下、ミニチュアのような白い山脈が地平線まで続くこの景色を見下ろすことが、実は今回の旅の目的の一つでもあったのだ。

 話は、5年前に遡る。
 カトマンズでのことか、それともラサでのことかは覚えていないが、安宿の一室で日本人旅行者が何人か集まって、お互いのラサまでの道程について語ったことがある。
 その中で、1人だけ空路でラサ入りした男がいて、彼は飛行機から見下ろしたヒマラヤの美しさを熱心に語っていた。しかし、僕を含めて陸路でラサ入りした旅行者はみな、彼がその美しさを語れば語るほど、彼を「軟弱者」として糾弾したものだった。
陸路でラサに、しかも非合法で入る場合、そこには旅行者の数と同じ数だけの苦労とドラマがあるのだ。それを飛行機で一跨ぎするなんて・・・
 その時は口にしなかったけれども、一方では彼の語るその景色を、何時か自分の目で見てみたいと思っていたのも事実だった。

 それから5年後。勤め人となった僕に、陸路でラダックへ入る時間の余裕はなかった。迷わず、デリーとレーを結ぶ飛行機の往復チケットを予約した。時間にしてたったの1時間半のフライトだ。
 眼下に広がる山と山の間では、一体どんなドラマが繰り広げられているのだろうか・・・
 そんなことを思いながら窓に額をくっつけているうちに、山と山の間にかかった雲海の中へと機体は潜っていった。
暫く機体は揺れていたが、眼下に茶褐色の街が不意に現れた。そこが、ラダックの首府にして、標高3,700メートルの街レーだった。
アシュラが言った。

「ようこそレーへ。旅を楽しんでくれ。」