歩かない旅の時代に

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

どうして最近の若者は海外旅行に出かけなくなったのか?
大上段から構えた理由を必要としない旅は、1960年代はまだ一部のものでしかなかったが、1970年代以降に大衆化し、まずツアー商品が登場する。その後、格安航空券の登場とともに個人旅行者(バックパッカー)がアジアを中心に進出、安宿街を中心に独特なコミュニティを形成し始めるが、1996年の猿岩石ブームの終焉とともに下火になる。これに代わって登場するのが2000年代以降盛んになった固定された行き先で短時間で定型的な買い・食いをこなすだけの「歩かない個人旅行」=スケルトンツアー。その結果、海外旅行という商品そのものが魅力を失ってしまい、若者は海外に出なくなってしまった…。これがその回答で、その上でバックパッカーの旅の源流となった「旅先の歴史や文化に触れる新しい「歩く」旅」への再注目を提言している。
著者には歴史・分化(戦争という負の側面の強いものだが)を埋め立てて作られた楽園・グアムについても興味深い本を書いている。旅先の土地の持つ歴史や文化を見ずに作られる観光地の行き着く先としてのグアムを読めば、著者の主張も十分に理解・納得できるものだと思う。
グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園 (岩波新書)

グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園 (岩波新書)

ところが、この著者の「旅先の歴史や文化に触れる新しい「歩く」旅を」という結論に噛みついているのが蔵前仁一氏。曰く、そんな儲からない提案を旅行会社がする筈もないし、優等生過ぎて一般受けする筈もない、とのこと。確かに、伊勢参りの時代からお伊勢さんより道中の名物に目を奪われてしまう弥次喜多の子孫こそがわが国の旅行者なわけで、明らかに平均的な旅行者より歴史・文化好きな僕としても、「そうは言っても周りを見渡してもなぁ…」と思わざるを得ないのが本音だったりもするのだが…。
それにしても皮肉だなぁと思うのは、ガイドブックの中でも比較的、歴史や文化にも目配りして、そして歩く旅を志向する旅人から最も支持を集めていそうな『旅行人』の編集長からこんなコメントを貰ってしまっているということ(結論以前に、自分に取材することなく事実誤認を含めた記事を書かれたことに腹を立てているようにも読めるが)。理論と現場、理想と現実の乖離とも言えるけど、根っこには二人の旅へのスタンスがあるのかなと思う(世代は違うけど、もしこの二人が同じ時期に同じ場所を旅していてもつるまなかっただろうな…という感じかな)。
さて、その『旅行人』も来年一杯で休刊するという。読者としては残念な限りだけれど、著者の分析の流れに乗ってみると、

  • 1990年代までの旅行者が年を取って旅のスタイルが変化してしまった(或いは旅に出なくなってしまった)。
  • その下の世代は海外旅行に興味を失い、また行ったとしてもスケルトンツアーを選択してしまうようになった。

という意味で、一つの象徴としてとらえられるのかもしれない。ここ数年、旅先でつるむのは同世代が多いなーと感じることが多くなっていて、それは自分の旅のスタイルの変化のせいかと思っていたのだけれど、そうじゃないのかもしれない。大沢たかお演じる沢木耕太郎と猿岩石の旅をテレビで観てバックパックを担いだ僕たちは、やはり「最後の旅の黄金世代」なのだろうか。もっとも、何をもって「黄金」とするのかにもよるのだが…。