Passenger's High


 翌朝、前の日に食事をともにした旅行者たちには挨拶もせずに早々にゲストハウスを出た。扉を開けると、朝の光が眩しかった。やっと太陽とご対面だ。
 ゲストハウスを出てしばらく歩いたところで、国境を越えるところで一緒だったフランス人2人組とバッタリ出会い、ルアンパバーン行きのバスの出る"夕方市"前のバスステーションまでのトゥクトゥクをチャーターする交渉をやってくれたのには助かった。ラオスでは、英語がまったくダメな運転手も珍しくないのだ。そして、彼らは別れ際にこう言った。
「Never trust anyone in Lao!!」

 フランスパンのサンドイッチを、露店にあつらえられた椅子に座ってバスの発車を待った。以前、友人から「ラオスでは、バスの出発の一時間前から席を占拠して、そこから一歩も動いたらあかん」と聞いていたけれど、実際はそんな必要はなかった
。バスの最後部座席に荷物を置いておくだけで、十分だった。
 やがて時間どおりに、屋根にも雑多な荷物を積んで、(もちろんクーラーもない)オンボロバスは出発した。国道13号線をひたすら北へ、ルアンパバーンを目指して。市街地を抜けても道はきちんと舗装が行き届いていた。ラオスは近年、観光に力を入れているらしいので、「バックパッカ―の黄金ルート」とまで言われているこの道路も、整備が進んでいるのだろう。
 しかし、この快適さは、長くは続かなかった。1時間も経つと舗装は終わり、道はデコボコになった。タイヤがくぼみに入るたびに、天井に頭が届くのではないかというくらいの衝撃に襲われた。
 そして、これに輪をかけたのが、日光。後部の窓には、当然のことながらカーテンというものは存在しないので、結局、ずっと東南アジアの灼熱の太陽を襟首に受けることになった。道理で、この席を僕の荷物をどけてまで奪おうとはしなかったわけだ。
 昨日までの雨のおかげで、砂埃はまだマシだったけれども、運転手が突如かけだした、良く言えば旅情を誘う大音量のラオ演歌と相まって、僕の頭の中はIggy Popの"The Passenger"がリフレインしていた。

 オンボロバスが山間部に入ると、旅はしだいにサバイバルの様相を呈してきた。にわかに雲が湧きおこり、雨がふきつける。その中をバスは、トンネルや橋がにないために、山に当たってはえっちらおっちら登り、そして何度もエンストしながら何とか下り坂にたどりつき、また登る、という際限のないサイクルに没入していった。
 そこでは、時おり通り抜ける山岳少数民族の集落がアクセントになる。断崖絶壁にたたずむボロ家、一つ山の向こうにあるバナナ畑、焼畑の加減に失敗して丸禿げになった山。バスには目もくれず、身体の倍はありそうな籠を背負ってどこまでも歩いていく少女、バスに向かって、或いは手を振り、或いはオモチャの銃を向ける少年たち(大人が銃を担いで歩くのが普通のこの辺りでは、ある意味ブラックなシーンだ)。
 そして、集落に通りかかるたびにバスは停まり、助手が積んであった手紙の束の中から、その集落の住人宛のものを手渡す。この辺りでは、バスはヒトやモノをただ運ぶより、それ以上の働きをするようだ。
 僕は、このバスの旅に飽きることがなかった。

 ビエンチャンからルアンパバーンまでの所要時間は、エンジンに大きな問題が起こったりしなければ、10時間くらい。ちょうど半分くらいに位置するバンビエンで旅行者の半分は降りる。そして、残りの半分はそのままルアンパバーンに向かった。
 しかし、僕のバスはあまりのエンストの回数の多さゆえ、本来ルアンパバンに到着すべき時間になっても未だ人界絶後といった山中から抜け出す気配はなかった。バスは、相変わらず前日までの雨で輪をかけてひどくなっている細い山道を、ときどきやって来る対向車とあり得ないくらいの間隔ですれ違ったりしながら、ただ駆け抜ける。
 やがて、とうとう辺りは漆黒の闇に包まれた。
 その頃になると、ようやく登りが減ってきて、心もちバスのスピードも上がったが、それでも窓には何も映らない。映るのは、不安そうな自分の顔と荷物ばかり。
 1時間も経ったころだろうか、僕と反対側の右側の窓から山の向こうに、不意にまばらな光が見えた。ルアンパバーンだ。時間にすれば数秒程度だった。僕は興奮して、思わず声を上げた。
 光はすぐに見えなくなり、辺りは再び闇に包まれてしまったけれども、あのまばらな光を、それらが見えた瞬間を、忘れることはないだろう。
 と、その時、バンバンという音がして、我に帰った。男が何ごとかブツブツ言いながら、窓を叩いていた。
「蚊がうっとしい!」
 彼は、僕の隣に座っていた日本人カップルの片割れなのだが、彼にとっては暗闇の向こうに瞬いた街の光よりも蚊の方が気になるらしい。
 そもそも、彼は出発したときから、まるで二日酔のような仏頂面で、バスケット一杯に用意されたカセットテープの山の中から次々と選んではかけられていくラオス演歌を聞けば「うるさい!コード、切ってやろうか!」とのたまい、またエンストのたびにバスや運転手を(日本語で)罵倒し、とてもラオスは初めてとは思えない、見るもの聞くもの全て鬱陶しい、といった様子だった。
 そう、彼にはまるで好奇心がないようだった。アドレナリンが出まくっている僕とはあまりに正反対で、同じ光景を目の前にしても、こうまで感じ方が違ってしまう。彼は、いったいなぜ、ここにいるのだろうか。旅を長く続けていると、ああなってしまうのだろうか。

 ルアンパバーンのバスステーションに着いたのは、結局、夜の8時だった。
 さすがに疲れ果てていたので、客引きの少年に促されるまま単車の後ろに乗せられ、とあるゲストハウスに連れていかれた。そこは、少し街外れだったがその分閑静で、またオープンして一年も経っていないということで建物も小ざっぱりしていた。おまけに、ホットシャワーまでついていた。ここなら何の文句もない。
 近くのレストランで、到着祝いということでちょっとだけ豪勢な食事をとった後、少し街をフラフラと歩いてみた。見上げると、降ってきそうな星空だった。ちょっと得した気分だった。