チャンディーガルでル・コルビュジエを堪能する。


 今回の旅は、成田〜デリーの国際線の往復と、デリー〜チャンディーガルの国内線の往復のチケットを予約していた。そもそも、デリーからダラムサラまでは夜行バスもあるのだが、今回は時間を金で買うというスタンスで、デリーからアムリトサルチャンディーガルまでは飛行機で行こうと思っていた。けれど、アムリトサル行きは満席で取れずに、結局チャンディガールまで飛ぶことになったのだ。蓋を開けてみれば、デリーの空港で一晩を明かしたり、チャンディガールからダラムサラ行きのバスが一日に一本しかなかったり(昼の12時発で、しかも朝にデリーを出ている)して、果たして目的のものが買えていたのかどうか非常に微妙だったのだが。
 そんなわけで、デリーに戻る時にも、戻りの航空券を捨てるには忍びなくて、実はマナリから夜行でデリーに戻った方が早いと分かりつつ、結局チャンディーガルまで夜行バスで戻ることにした。インド人観光客向けのツーリストバスだ。
 さて、チャンディーガルと言えば、黄色いカバーが目立つ日本有数のガイドブックではまともに取り上げてはいないが、ル・コルビュジエ(1887-1965)の手がけた建築物を多数擁する屈指の計画都市である。格子状に区切られたセクター(区画)からなるそのインドに似つかわしくない整然とした造りは、飛行機の窓からだとより際立って見える。おまけに、有数の金持ちの街らしい。
 そんなチャンディーガルに、辺り一面真っ暗闇で、ひたすらに寒い朝4時に放り出された。無論、どのセクターなのかも分からない。勝手知ったる地元民は自分が右往左往しているうちに闇に消え去り、残ったのはあり得ない額をふっかけてくるリキシャワラーのみ。僕はインドお決まりのセリフを放つ彼らを振り切って、歩いていった。30分も歩くと、商業スペース(後で分かったのだが、そこが街一番の繁華街だった)っぽいところに出たので、その軒下を無断で拝借して、夜が明けるのを待った。この時、すでにデリーに直接向かわなかった自分の判断を激しく後悔した。
 ぼちぼち夜が明けてくると、ダラムサラの本屋で購入しておいたチャンディーガルのツーリストマップを頼りに、ル・コルビュジエの建築物を探して、官公庁の建物が並ぶセクターへと歩くことにした。
 が、その遠いこと。一つのセクターの大きさが長さ1kmもあるので、「おぉ3ブロック先か」と思っても、ゆうに1時間近くかかってしまう。それでも何とかオープン・ハンド・モニュメントまでは辿りついたけれど、肝心の官公庁の建築物は警備の兵隊さんたちに「週末だからダメ」とすげなく追い返されてしまい、改めてデリーに直接向かわなかった自分の阿呆さを呪った。
 腹いせに訳の分からん石のオブジェや人形が並ぶロック・ガーデンを冷やかしてからやけに高い昼飯を食べてチャンディーガルを後にした。それでも、こう言える(と思う)ので、良しとしよう。
「あ、ル・コルビュジエ?見たよ。うん、インドで。やっぱいいよねぇ!」