「本」も「図書館」もいらないのか?

以前告知した「国立国会図書館長=情報工学者・長尾真のシリーズ対談:図書館は視えなくなるか? ―データベースからアーキテクチャへ」第2回、山形浩生氏との対談「もう、「本」や「図書館」はいらない!?」(於d-labo、5月11日)に行ってきました。
前回のジェットコースターみたいな刺激的とはうって変わって、今回は図書館界に身をおく人間にしてみれば比較的「予定調和」な内容だったと思います。タイトルのつけ方の影響もあってか、今回は図書館関係者が多かったのも印象的でした(前回は「図書館関係者がアウェー」みたいな感じだった記憶が)。
1990年代に、<Ariadne>と<プロジェクト杉田玄白>という「電子図書館」の魁というべき成果を生み出した2人の業績をリスペクトしつつ、その2人にWeb2.0以降の現在における「図書館」の存在について語らせるという主催者側の目論見はよく分かるのですが、

  • 図書館が収集すべき候補となる情報の量は今後も増加する一方(そもそも図書館がどこまで手を出すべきなのか?という議論もあるが…)。
  • その際、どの情報を集め/構造化するべきかという価値判断(フィルタリング)を図書館が担うのは極力避けたい(なぜなら、その価値判断は「現在のもの」でしかないから)。
  • とは言え、そもそも情報が発生してから図書館に格納されるまでの過程で、何処かのタイミングで何らかの価値判断が入るのも事実(テキスト化する/しない、書籍化する/しない、選書する/しない…)。
  • そうなると、図書館としてはとりあえず集めるしかない(一極集中は難しいので、分担していく必要はあるだろうが)。
  • そして、集めたものは電子化してできるだけ多くの人にアクセスする機会を与えるべきである(構造化して検索の精度を上げたりするのも現時点では限度があるけど…)。
  • ただし、「必要に応じて適切な情報を抽出する」というスキルは図書館に求められる(情報の信頼性を機械的に判断する研究も進んでいるが…)。
  • 「図書館に求めるものは?」というコーディネイターからの質問への回答は、「信頼できる情報の提供(=レファレンス)」(長尾氏)、「各種媒体の保存」(山形氏)。

という内容(かなり粗くまとめています)を見てみると、図書館界ではわりと普遍的なネタが提示されているものの、(厳しい言い方をしてしまうと)もう一歩踏み込んだものにならなかったのがちょっと残念でした。とは言え、比較的理解/共感しやすい内容になっているとは思うので、関係者以外の方にしてみればとっつきやすかったかもしれません。
何だかんだ書きましたが、こういったアバンギャルドなイベントは図書館界ではあまり見かけないので、次回以降も期待しています。あと、この成果をどういう形で展開していくかにも興味があるところ。

  • 第1回「自律進化するデータベースはつくれるか」告知記録
  • 第2回「もう、「本」や「図書館」はいらない!?」告知