大橋乙羽『欧米小観』

大橋乙羽 『欧米小観』 東京, 博文館, 明治34(1901)年, 214+40p.

<本文>

大橋乙羽(又太郎、1869-1901)は、博文館主人となった明治33(1900)年、ヨーロッパ・アメリカを巡る外遊へと出発した。その際の詳細は、彼の旅行記『欧山米水』(博文館, 明治33年)に詳しく述べられているのでそちらをごらんいただくとして、ここでは、その翌年、彼の死の直前に出された本書を紹介することにしたい。
本書も彼の外遊の旅行記になるのだが、構成として、時系列に出来事を羅列するのではなく、ヨーロッパ歴訪中に特に印象に残った事項についてあれやこれやと書き連ねる形になっている。これを一読して目に付くのは、大橋が折しもパリ万国博覧会と同時開催されていたということで急きょ参加した「万国著作権会議」についての記述だろう。
この時代に著作権といえば、1886年にスイス・ベルンで作成された、著作権に関する基本条約であるベルヌ条約を思い起こされる方もいるだろう(日本も、1899年にベルヌ条約に加盟している)。制定後、毎年ヨーロッパの首府持ち回りで総会(万国著作権会議)が開かれていた。
さて、折からパリに滞在中だった大橋は、当時パリに留学していた東京法科大学の山田三良に勧められて、第22回目となるこの会議に出席した。ヨーロッパ以外の国からは初めての参加だった。大橋は、律儀にも一週間にも及んだ会議(と優雅な夜の部)の模様を事細かに記している。ちなみに、議題は以下のとおり。

<第一>

  1. 著作権法に依って保護すべき目的物
  2. 保護の期間
  3. 無名の著作物法人の名義にて発行せる著作物
  4. 数人の合著作
  5. 死後の著作物
  6. 不正の複製、興行、翻訳、翻案
  7. 報道、批評、引用の権利
  8. 新聞又は定期刊行物に掲げたる著作物
  9. 著作者の徳義権即ち著作者たるの資格を認識せしむ可き権利
  10. 著作権譲与、承継人の権利制限
  11. 著作権の消滅したる後にても著作物を尊重せしむ可き方法
  12. 著作権の侵害
  13. 外国に於いて発行したる著作物及び外国著作者の権利保護

<第二>

  1. 著作者及び、その承継人著作物消滅したる後と雖もその著作物に対して、一種の権利尚お存在するや、著作者の相継人又は承継人為なりや、将た国家の為に存在するや之を保護するの方法如何

<第三>

  1. 各国に於ける現行法及び立法事業の評論

最終日、山田は登壇して演説をぶった。日本で新しく制定された新著作権法の紹介がメインテーマだったが、ここで山田は更に一歩踏み込んで「翻訳権回復」の提案を行った。折しもこの会議で、翻訳権も著作権と同様に10年(!)に延長されることが可決されたのをうけてのことであるのは言うまでもない。当時、書物を通じて欧米の事物・諸制度を学んでいたいた日本にとって、確かにこの翻訳権の延長は痛手だったのは容易に想像がつく。それに対して、「ベルン条約に盲従し、十箇年漫に翻訳することを得ざるが如きは実にわが国の文明の進歩に、一大妨害を与ふるものなりと思惟す」と山田は公然と反対意見を表明した。さすがにこの一言で議決が覆ることはなかったが、参加者の中には拍手喝采を送る者までいたという。
つまるところ、本書は単なる旅行記にとどまらず、日本における著作権の黎明期を活き活きと伝えてくれる資料でもあるのだ。
なお、本書の末尾には山田が寄稿した「大日本帝国新著作権法に就て」という一文が掲載されている。また、日本のベルヌ条約批准については、『著作権保護ニ関スル国際同盟条約・国際同盟条約追加規程・ベルヌ条約及追加規程ニ関スル解釈的宣言書』(内務省警保局, 明治31年)という資料もある。