錫蘭日記(上)

  • X月XX日(木)

 コロンボのカトゥナーヤカ国際空港に着いた時には、日付が変わっていました。席が隣だったOさんという企業経営者で、且つスリランカNGOフェアトレードのような)の立ち上げに奔走している人と仲よくなり、3部屋あるという彼のHilton Residenceに泊めてもらいました。会社で結果を残し、その資金でNGOに賭ける彼の姿勢、喋りは、とても面白かった。旅に出ると、普段、仕事では知り合えない人と出会えます。彼は、僕の職場にも是非来る、と言っていました。

  • X月XX日(金)

 2等列車でキャンディに着きました。旅の勘が少し戻っていないせいか、ホテルを決めるのに少しトラブりましたが、結果的に良い所に入りました。Christferという初老の英国人と夕食を伴にしました。彼は70年代にヒッピーとして1年インドに居て、その後、働きながら、10年ごとに3ヵ月、一人で旅をするそうです。割合としては、年に10日の僕と一緒ですが、彼の様にヒョウヒョウと、肩の力を抜いて旅ができるのは、一つの理想かもしれません。白人の多くは、大きなバックパックに自分のライフスタイルを詰め込み、肩肘張って、硬直した旅をする人が多い気がします。

  • X月XX日(土)

 再び2等列車でハットンに行き、そこからスリー・パーダ登山基地の街ナラタニヤに入りました。巡礼シーズン最後の週末ということで、凄い人出です。スリランカの人々は、タイ人からも消えかけている、素晴らしい微笑みと親切心を持っているように感じられます。列車でもある大学生が色々と便宜を図ってくれたし、街の人々も気軽に声をかけてくれます。ここがインドならタカられるだけだし、バングラデシュほど好奇(というか珍奇)の目でもなく、程好いレベルで接してくれます。M大のカップルにも会いました。まだ若く、これから旅を重ねていくのでしょう。まだ“旅のしがらみ”が感じられない、爽やかな2人でした。

  • X月XX日(日)

 夜からスリー・パーダに登りました。イブン・バットゥータも、マルコ・ポーロも訪れた、宗教・生物を問わない、スリランカ一の聖地です。登山はかなり骨が折れましたが、日の出の瞬間を待つ人々のエネルギー、出た瞬間のエネルギーの解放、そして、日の出そのものの圧倒的な神々しさ、本当に、不覚にも、涙がこぼれました。その後、素晴らしい茶畑をSLで走り抜け、ヌワラ・エリヤという街へ。この素晴らしい一日の唯一の計算外の出来事は、下山中、足を挫いたこと。少し予定を変え、お金にモノを言わせて移動することにしました。
 

  • X月XX日(月)

 今日は、基本的に何もしない、“中休み”の日でした。昨晩、ホテルのスタッフに、彼の母から教わったというインド式の治療を受け、足は少し楽になりましたが、明日の移動を考えると、無理はできません。朝一で紅茶工場の見学に行った後は、公園で本を読んだり、手紙を書いたり、街をぶらぶらしてみたりと、勤める前なら普通ですが、今はなかなかできない(特に旅行中)ことをしていました。それにしても、まさか、ここに日本語OKのネットカフェがないのは・・・