死者の丘

アフラシアブの丘は死者の丘だった。
「康国」とも呼ばれた古のサマルカンドは、モンゴル軍の襲来によって廃墟と化し、打ち捨てられ、そして今や死者の街となっている。ソグド時代の名残は、ところどころに残された土壁の痕跡くらいのものだ。
レギスタン広場から東北にタシケント通りを真っ直ぐ、ビビハニム・モスクの脇を通り過ぎていくと、アフラシアブの丘に出る。丘を突き抜けていくと博物館なのだが、敢えて右手に丘を回り込んでいく。
丘の南側にはりつくように建てられているのがシャーヒズィンダ廟群。サマルカンドを中心に巨大な帝国を築いたティムールの一族が眠っている。タイルのブルーがどこよりも深い。

廟の並ぶ通りを抜けて丘を登っていくと、そこはサマルカンドの人々の眠る広大な墓地だった。墓主の肖像が彫りこまれた墓石が乱立し、否が応にも死者の目線を感じる。

墓地を歩いていると、とある廟に行き当たった。異教徒で異邦人の私には分からないが、名のある聖者の廟なのだろう。
廟の前の桑の木の下にはベンチが置いてあって、廟の守をしている老人が本を読んでいた。私たちに気づいた老人は、私たちを廟内に招きいれ、そこに葬られている聖者について、英語の解説書を見せながら一通り説明してくれた。お礼を言うと、老人は満足そうに笑顔で頷き、再びベンチに座って読書を始めた。彼はこうして毎日、ここで日がな一日を過ごしているのだろうか。
写真をお願いしたが、笑顔でやんわりと断られてしまった。