宮崎季樹『生蕃紀行』

宮崎季樹 『生蕃紀行』 木佐木村(福岡県), 宮崎季樹, 明治34(1901)年.

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明治28(1895)年の馬関条約(下関条約)で台湾は名実ともに日本の植民地となった。その台湾統治において問題となった一つに「生蕃(後には高砂族とも)」呼ばれた台湾原住諸民族対策がある。
宮崎は1895年7月、単身台湾に渡り、「生蕃」のエリアである台湾北部の山地に分け入った。その際の記録はその後散逸してしまったらしいが、帰国後3年経ってから記憶を頼りにその当時の様子をまとめなおした。それが本書である。
当時の台湾は、中国からの移住者と台湾総督府から派遣された日本官憲と首狩りや入れ墨などの独自の風習を色濃く原住民の三つ巴の緊張感が渦巻く場所でもある。しかし、宮崎本人は自ら「生蕃」と当時見下されていた人々の間に入り込み、ともに生活し、かれらの暮らしや習俗を文字にしていく。「日本の台湾統治がうまくいくように」ということが、当然ながら宮崎の頭にはあるわけだが、予断や偏見をできるだけ排除して彼らと付き合う真摯な宮崎の姿が本書から読み取れる。旅行中の記録が失われてしまったのが本当に残念だ。
おそらく宮崎は、一私人という立場で台湾に渡っている。そのため、自費出版である本書も広く流通するものではなかったと思われるが、こういった政情不安定だがしかし住民にとっては身近な最前線のルポタージュは貴重だと思う。