“錫蘭巡礼”(一)

一大山有り、雲を侵し高く聳えり。山頂に人の脚跡一箇有りて、石に入ること深さ二尺、長さ八尺餘なり。是を人祖阿耼聖人、即ち盤古の足跡と云う也。此の山は内より紅雅姑、青雅州都、青米藍石、昔刺泥、窟没藍等を出だし、一切の寶石皆な有り。大雨の有る毎に土を冲出し、流下せる沙中に尋拾すれば則ち有り。常に寶石は乃ち是れ佛祖の眼泪より結成すると言う。 (馬歓『瀛涯勝覧』)


 ハットン駅を出たバスは、多くの巡礼客を乗せて一面紅茶畑の山間を蛇行しながら走ること1時間で、ナラタニヤのバスターミナルに着いた。街は、まるで祭りのような、人だかりと浮揚感に包まれていた。

 バスを降りた男は一人の客引きに声をかけられた。

男は思う。こういう場合、最初に声をかけてくる奴に言われるままに着いていき、そのままそこで旅装を解くのは、どうもこいつにうまく捕まったみたいで、格好悪いな。

「いいよ。少し山の方まで歩いてみて、それから考えるから。」

 この田舎町に似つかわしくない異様なまでの熱気と人間の数は、巡礼シーズン最後の日曜というためなのだろう。

ハットンまでの汽車にも、コロンボから休みを利用してこの山に登りに行くという若者が多かった。彼らは飽きることなくドラムを叩き、合唱し、そして笑っていた。これは彼らにとって日常から離れた“ハレ”の行為でもあるのだろう。

 ターミナルからみやげ物の露天が並ぶ坂を下り、川に出た。橋の上から下を見ると、下山してきた褐色の人々が石鹸で体を清めている。彼らは一様に満足そうな笑みを浮べ、高地の身を切るような冷たい水も苦にならないようだった。

「だから言ったろ。この辺りには宿は無いんだよ。だからうちに来なよ。」

あきらめず男の後をついてきた客引きは、屈託の無い笑顔で男に話しかける。男は決まり悪そうな曖昧な笑顔で、ぶつぶつと言い訳めいたことを口にした。もう少し先に行ったら何かありそうな気はするんだけどな。でも少し疲れたな。

「とりあえず部屋を見せてくれよ。もちろん、ホットシャワー付だろ?」

 結局、男は、このバスターミナルの側のホテルの三階に荷物を置いた。少しでも安いホテルを探さねばならないほどに財布は逼迫していなかったし、少しでも良い雰囲気を求めるほどの宿泊施設へのこだわりも無かったのだ。ただ、少しばかりの値切り交渉に成功しただけで満足していた。

 男がこれから登ろうとしている山は、スリー・パーダ、またはアダムズ・ピーク(Adam’s Peek)と呼ばれる、標高2,245Mの孤高の鋭鋒である。古くはサランディーブ(中国の趙汝适の『諸蕃志』では「細輪疊」と音写されている)と呼ばれ、仏教、イスラム教、キリスト教ヒンドゥー教といった宗教を超越して、人々の信仰を集めている。

 大正時代にスリランカを旅した商社マンの前田寶治郎が読んでいたガイドブックの記述が、この山を最も簡潔に説明している。

藤椅子に椅りながら案内書を見る。この秀嶺こそ確かに佛教信者の所謂佛足山として尊崇するアダムス・ピークだ。海抜七千三百五十二呎、その山巓の巌上に一つの凹所がある。佛者はこれを釋尊の足跡と信じ、回々教徒は人祖アダムの舊趾と称し、ヒンズ教団は神芤婆の足迹と主張し、互いに聖者の舊蹟の争いをなしている。従って是等信徒の巡礼登山者が四時絶えぬ、一大霊場となっていると記してある。(前田寶治郎『錫蘭礼記』)

このように遥か洋上からも望めるので、インド洋を航行する船の目標となり、そして船乗りや海上商人たちからは航海安全を祈る聖山とも見なされていたらしい。

 際立って三角形に近い形状をしたこの山は、やはり周りの山々から隔絶した印象を受ける。スリランカで最高峰というわけでもないのに、ここが特別視されるのは高さよりむしろその立ち位置、立ち姿に人々が宗教以前に感じ取った原始信仰が、その基礎にあるからだろう。チベットカイラスしかり、日本の富士山しかり。

人々は山頂でご来光を拝むべく、連れ立って真夜中のうちに登り始める。それぞれの神を讃える歌を歌いながら、思い思いのスタイルで登っていく。そのような単純な行為自体に、宗教を超越した神の存在を、人々は感じ取るのだろう。

ナラタニヤは小さな街だ。スリー・パーダへの登山口の側にあるバスターミナルを中心に、一本道の参道沿いに商店やホテルが立ち並ぶ。道路から少しでも外れれば、そこは一面の紅茶畑だ。

男は、参道沿いのお菓子屋で、物珍しい外国人に興味津々に話しかけてくる店番の青年の質問に適当に答えながら、貰ったハクル(ココナッツを固めた甘いお菓子)を齧っていた。どうやら、あまりにしつこく質問攻めにされるものだから、少し辟易して、頭では違うことを考えているらしい。

参道沿いには、雑貨屋やレストランが多い固定店舗の他に、ハクルなどの軽食や、ジャンパーや帽子といった登山グッズを商う露店が切れ目なく並んでいる。

男の座る露店の前を多くの巡礼者が通り過ぎてゆく。どうも、皆が皆ご来光にご執心、というわけでもないようだ。

絶えず発着しているバスで来た者が多いが、他にもワゴンなどに家族で、友人で乗り合って来る者も目に付く。彼らの殆どは、街に到着して少しばかりの休憩を済ませた後、おもむろに登山を始めていた。

山道のカーブ沿いの空地では、どこかから薪を集めてきて自炊をしている逞しい人々もちらほらと見かける。腹ごしらえでもしてから、夜の登山に備えるのだろう。

これだけの人を収容できるキャパシティは、明らかにこの街には無い。参道沿いの谷側には、何軒かホテルが建築中、または増築中だったりするが、総じて宿泊施設もそう多くないし、レストランの数も十分とは言えないだろう。

しかし、車で仮眠を取り、空地で鍋を焚き、川で体を洗う巡礼者を見れば、その疑問は氷解する。人々は多くのインフラを必要としていないのだ。その証拠に、男が泊まるホテルも、立地と作りの良さのわりには(否、それ故にとも言えるが)、ほとんど空室だった。どうやら、余裕のあるスリランカ人か外国人しか投宿しないらしい。それなら、もう少し値切れたのかもしれないな。

ここまで考えたところで、「さてと」と、男は少し大げさなアクションを取りながら立ち上がった。

「ありがとう、美味しかったよ。少し散歩でもしてみるかな。」

店番の若者は、親愛の情を込めてハクルをもう一切れ、男に差し出した。正直口に合わないんだがな、と男は思ったが、そんなことはおくびにも出さずに笑顔で受け取り、山とは反対の方に歩いていった。