ヤンゴンを歩く #2

 旅する時にガイドがいれば、これほど楽なことはない。そう思う方は多いと思います。
 ところで、ヤンゴンでガイドを探すのは難しいことじゃないと思います。ガイドがいれば、中央マーケットでの買い物も格段に楽になります。

 キョロキョロしながら歩いていると、「日本語を勉強しているから話したい」という若者が、一日平均2人は寄ってきます。
 マーケット周辺で声をかけてきたのは、「キヨハラ」と名乗る尾藤イサオ似のアンちゃん。何でも、市内の日本語学校で日本語を勉強しているらしくて日本語はかなりうまく、パガンあたりのちょっとしたガイドなんか比べ物になりません。

―何やってんの?
「油売ってる」(※ビルマは失業率が異様に高い)
―あれ、じゃあどうやって食べてるの?

「たまにガイドする」

―じゃあ、ガイドやれよ。日本語上手いんだし。
「向いてない。歴史とか興味ないし。日本語検定の試験は受けてるんだけどね」

―じゃ、どうすんの?
「日本で働きたい。友達も日本で稼いだ金で店を始めた。俺もやりたい。でも、ビザを取るには大金がかかる」(※多分、この科白で軍部のスパイという線は消える)

―頑張ってね。助けてあげられないけど。
「だから油売ってるしかない(笑)それにしても、あなた、ビルマ人みたいだね。ビルマ人でも通るよ」

―余計なお世話だ。

 ともあれ、こういったやりとりがあって仲良くなったキヨハラに、雑怪奇に入り組んだマーケット内を縦横無尽に案内してもらいました。郵便局に連れて行ってもらったり、生地屋でのテーブルクロス購入の値切りを助けてくれたり、とまぁ大いに助かりました。もちろん、どこかの国の場合みたいに「茶をおごれ」とか「俺の知り合いの店で買い物しろ」とか言われませんでした。

 ちょっとした道案内レベルも含めると、他にも色々いました。時には、インド系の人からも同じように親切にされたこともあったんですが、 インドを旅行してこの手の人の胡散臭さに辟易した経験を持つ僕には、その親切をなかなか素直に受け取れなかったこともありました。
 申し訳なかった!!慣れてないもので・・・

はじめに

 明治時代、鎖国体制から解き放たれた日本人は、積極的に異国へと出て行きました。まだ限られた人しか海外へは渡れることができなかったとはいえ、それまでと比べると各段に多くの人が、世界各地へと旅立っていきました。そして、その旅の目的や旅程も、お偉い方々視察旅行であったり、そこらのおじさん達の団体旅行であったり、軍人の情報収集の旅であったり、若者の無銭旅行であったり、海外で一旗上げようとした移民の旅であったりと、様々なものでした。
 
 「明治」というまだ限られた情報しかなかった時代に、多くの驚きに遭遇しながら旅した彼らの記録は、現代の私たちに、あらためて旅の面白さを思い起こさせてくれるものだと思います。それが、「明治」を選んだ一つ目の理由です。

 もう一つ、「明治」にこだわる理由は、明治時代に出版された図書の多くが国立国会図書館が提供する「近代デジタルライブラリー」で全文画像がインターネット見ることができるからです。つまり、ここで紹介した本をその場で読んでもらえるというわけです。

そんなこんなで、週一回ペースを目安に「明治の旅行記」を紹介していきます。よろしければお付き合いください。