シリグリからの手紙

 再び、インドに戻って来ました。国境を跨いだ途端、人々に包囲されなくなりました。正直、ちょっとうんざりしていたので、これは助かります。
 それにしてもタフな移動でした。一昨日の朝にSt.マーティン島を出て、その日のうちにチッタゴンまで移動。ここで一泊して、昨日の夕方にはダッカに到着、そしてそのまま夜行バスでインドとの国境の街チラハティへ。国境を越えてインド側のジャルパイグリで入国手続きを済ませて、ダージリン・シッキム方面への玄関口であるここシリグリへ。
 ここでは、シッキムへの入境許可証を取ったり、ブータン潜入の作戦を立てたりと、それなりにすべきことがあります。駅の近くのビジネス・ホテルが僕たちの拠点です。

 さて、さらりと流してしまいましたが、国境越えにはちょっとした苦労がありました。
 話はカトマンズに遡ります。バングラデシュのビザを取った時に、入出時の国境の超え方を指定する必要があったので、その時はカルカッタから入る時のポイントであるべナポールを指定しました。けれども、ダッカに入ってからバングラデシュの旅行ルートを組んだ時に、チラハティからシリグリへ抜けるルートを取りたいなという話になったので、本当に大丈夫か入国管理局に行って確認してみました。その時は色んな窓口をタライ回しにされた挙句、最後はやる気のない小役人が「大丈夫大丈夫」と言っていたのですが・・・。

 朝方チラハティで降ろされた僕たちは、少しチャイ屋で時間をつぶしてから線路を歩いて出入国管理事務所に向かいました。僕たちの相手をしてくれたのが、これまたもったいだけはたっぷりつけて威張り散らす小役人。たしか、ここの副所長と名乗ったと思います。
 僕たちのビザがべナポール指定だったことを目ざとく見つけた彼は、まるで鬼の首でも取ったようにネチネチとやってきます。
「これはだめだ!チラハティと書いてないじゃないか!!昨日も同じような日本人が来たが、追い返してやったんだ」
 僕たちとしても、ここまで来てダッカまで戻ることだけは避けたいところ。ダッカの管理局でOKと言われたことを楯に、頼み込みました。
 そして、ここからが長かった。
 途中でスイッチの入った小役人氏は、滔々と、いかにアメリカがイスラムに対して横暴なのか、そのアメリカを助ける日本はどういう了見なのか、日本はアジアのリーダーではなかったのか…と、口舌泡を飛ばしながらの一時間以上に及ぶ大演説をぶったのです。しかも、時おり「で、どう思うんだね!?」と振ってくるので、おちおち聞き流せもしない。そう言えば、べナポールで入国した時も、ちょっと英語を間違えるたびに「なんてバカなんだ!」と言われたのでした。まったく、この国の小役人ときたら。
 とにもかくにも、最後には、特に賄賂を求められることもなくハンコを押してくれたのですが、夜行バスで疲れていた僕たちにしてみれば、泣きっ面に蜂といったところ。国境付近ののどかな田園風景が、唯一の慰めでした。