勉強会@中央線RT2017〜葉月を開催

(48) 2017/8/10 高円寺HACO 氏原茂将(創建)「〈最小公倍数〉を探るコミュニティデザイン」

2010年以来、2度目の登壇となる氏原さんからは、事前に次のような概要をもらっていました。

〈最小公倍数〉というよく分からない言葉は、最近のプロジェクトを経て、過去15年ぐらいの様々な体験をふりかえって見つけた、コミュニティデザインの仮説となるキーワードです。そんなキーワードについて、最近の3つのプロジェクトの話をしながら、その仮説を紹介したいと思っています。

  1. 太田市立美術館・図書館 基本設計ワークショップ
  2. 小金井市しごとづくり事業
  3. 釜石市情報交流センター 基本構想・基本計画

被災地から都心のベッドタウン、自動車会社の城下町までいろいろですが、それぞれのまちでコミュニティで/と仕掛けてきたことを紹介しようと思います。

公共空間や公共サービスにおいて志向される、「だれもが」という主語。その主語となる最大多数のユーザが共存できることを目指した結果、実現されるものを氏原さんは「〈最大公約数〉の公共性」と呼びます。「あらゆるユーザを想定すること自体は悪いことではないものの、最大限の人々が共存しうる条件を追い求めるあまり、みんなのためのようであって、誰のためでもないものになってしまうことが多いのではないか」という問いが、今回の話の出発点でした。
最初に紹介されたのは、氏原さんがワークショップのファシリテーターとして参画した太田市立美術館・図書館の基本設計ワークショップ。設計を担当した平田晃久さんが

この街にも日本全国に広がるいわゆる「郊外化」の問題が幅を利かせている。車中心の生活が、駅前のにぎわいを奪い、じわじわと街の持っている生命力が奪われていくような負のサイクルが進行していて、切実な危機感が人々に共有されている。歩いて楽しい街を何とかして取り戻したい、というさまざまな立場を超えた共通の思い。この建築は、そういう強い思いの坩堝(るつぼ)から生まれてくるものではないか、と感じた。
設計過程をできるだけ市民との議論の場に投げ出して、半ば混沌とした設計プロセスで案の方向性を析出させたいと思ったのには、そういう背景があった。設計者としての責任を放棄するわけではない。むしろ逆に、自分たちの考えを投げ出した多数性の場のなかで、よりよいと判断できるものをどこまで浮かび上がらせることができるか、ラディカルに試そうとしたのである。

と書くように*1、プロポーザルで示された設計プランをベースにしつつも、公募で集まった市民が参加するワークショップで、ゾーニングやスペースの区切り方などの設計要素をくみ上げていくという、一風変わった手法―これが成立するためには、色々な前提条件が必要そうですが―で基本設計が進められていったそうです。
氏原さんが紹介した、毎回アジェンダをきっちり設定したりするなどして参加者から多様な意見が出やすいようにする仕込みや、出揃った意見から様々な言葉や要素をくみ出して設計に落とし込んでいく捌き方といった、プロフェッショナルとしての経験に裏打ちされた緻密な準備や仕切りも参考になるものでした。しかしより興味深かったのは、ワークショップ参加者という顔の見える個人から出される「私」をファシリテーターが汲み取り、そして「公」につなげていくこの実践を氏原さんが、「限られた人でもいいから巻き込んでいける〈最小公倍数〉を探っていく手法」として位置づけていたことです(そして、比較的多くの人と共有できる〈最小公倍数〉は地域経済、即ちカネだよね…と2や3の話へとつながっていきました)。
この話を聞きながら私は、少し前に読んだ東島誠さんの『<つながり>の精神史』の「日本史上の「公私」は、相対的な「大−小」、含み含まれる関係であって、概念として対立していないところに特色がある。」という一節を思い出していました*2。東島さんのこの指摘を是とするならば、「私」を「公」につなげていくというこのアプローチは、きわめて理に適ったものだということになります。そして、そのプロセスにこそ(参加者の一人であるHisammitzuMizushimat‏さんの言葉を借りれば)「「公共」なる概念の本質が透けて見える」のかもしれません。


〈つながり〉の精神史 (講談社現代新書)

〈つながり〉の精神史 (講談社現代新書)

最後に、今回の「場」の設計についても書いておきます。
スクリーン/プロジェクタは使用しないということだったので、いつもは「コ」の字に配置する長机を真ん中に寄せてつくった大きな机の真ん中に参考となる文献を置き、それを囲むように11人分の座席を配置しました。氏原さんは「誰の目を見て話せばよいか分からなかった」と帰り道に苦笑していましたが、この座組みが濃密な議論を演出する一つの要素となった気がしています。氏原さんからの話が一通り終わった後、3つくらいのカタマリに分かれての議論が同時多発的に起こったのも、この座組みならではのことだと思います。

<7/25追記>
当日のお話の一部が『カレントアウェアネス』に掲載されています。
氏原茂将. 市民と〈設計〉した公共空間―太田市美術館・図書館における基本設計ワークショップ―. カレントアウェアネス. 2018, (336), CA1924, p. 2-5.

*1:http://10plus1.jp/monthly/2017/02/issue-02.php

*2:本書では、「私」は"private"ではなく"partial"、「公」は"public"ではなく"impartial"という訳をあてています。