正岡芸陽『米国野球見物』

正岡芸陽『米国野球見物』 東京, 博文館, 明治43(1910)年, 214p.

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渋沢栄一を筆頭とする実業家集団の明治42年アメリカ視察の模様を、やまと新聞特派員として随行した正岡芸陽猶一(1881-1920)がまとめた『米国見物』は以前紹介した]。その際に言及したけれども、この本でもっとも目立つのは、アメリカの野球事情を詳しく紹介するくだり。視察団一行も少しはアメリカの野球に触れることもあったかもしれないが、視察の本筋とはまったく関係のない、本人の趣味だったのは間違いない。
しかし正岡は、社命によりまとめた報告書の一部を私物化するだけでは物足りなかったと見え、野球だけで一冊の本を作ってしまった(「天下無類」と言われるほど筆が速かったらしい(登張竹風『人間修行』昭和9年))。本人は選手としては「とても物にならぬ」レベルで、「単なるファン」だと言っているのだが、巻頭グラビアは野球のユニフォームに身を包んだ本人の写真である。
そして、彼の執念を更に感じさせるのがその出版までの経緯だ。本書の刊行は5月だが、4月25日付けの編集者の記すところによれば、正岡はグラビア撮影の翌3月17日に病に倒れ、「瀕死の状態」になってしまったという。正岡はその後も病に苦しみながらも著作は残しており、そのまま亡くなったわけではないのだが、本人の野球への思い入れというか、執念のようなものがひしひしと伝わってくる。
さて、肝心の本書の内容だが、アメリカの野球事情、選手の移籍にまつわるお金の問題、審判(行司)の地位、前年(1909年)のワールドシリーズ(パイレーツVSタイガース)の詳報、当時のスター選手の寸評、協会組織、八百長事情など多岐に渡る。そして、その筆は日本球界の改善にも及ぶ。当時、中止されていた早慶戦の復活、グランドの整備、「下劣」な野次の自粛、審判の尊重…等々。その思いの丈は次の一文を読めば明らかだろう。

我輩は米国本場の野球を見た。而して野球に関する多くの事を聴き、又多くの事を読んだ。其大部分を茲に故国の野球家に語り得るのは何たる光栄だろう