『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』

『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』 東京, 日本貿易協会, 明治37(1904)年, 299p.

<本文>

ハノイ万国博覧会―仏領東京河内府万国博覧会は、1902年11月16日から1903年2月15日までの期間、フランス領ベトナムハノイで開催された。本書はその報告書であるが、出版元が「日本貿易協会」となっている点は要注意。日本政府は、1900年に開催されたパリ万国博覧会への出展準備で手一杯となっていたため、ハノイ万国博覧会には政府としては参加せず、代わりに日本貿易協会という民間の出品団体を立上げて参加したのだ(統括したのはパリ万国博覧会でも活躍した大塚琢造)。
「博覧会ニハ仏国及ビ其殖民地ノ製産物並ニ新嘉坡ト日本国トノ間ニに位セル各国の製産物ヲ出陳スル」ということで、清国や朝鮮、タイ等からの出品もあったものの、フランス本国やその植民地からの出品が大半を占めた。一方、日本からは、醤油・魚介類の缶詰・ビールといった食品から、漆器・陶磁器等の工芸品や靴やブラシといった日用品、そして時計・医療機器等の機械まで日本各地から多種多様な出品がなされたようだ。しかし、これらは「売店主義」、つまり品数は多いものの、一部を除けば総じて品質があまり高くないものばかりであった、と反省点が述べられていることから、当事者としてはあまり満足のいくものではなかったことが伺える。
ちなみに、以前ここで紹介した南条文雄・高楠順次郎『仏領印度支那』収録の「南征記」によれば、彼らも始まって1週間ほど経ったころの博覧会を見学しており、

我が国よりは北は氷雪の蝦夷地より西は炎熱の台湾に至るまで出品者意外に多く、その会場の如きも常に欧人の顧客を以て充満せり…(略)…その用意已に終りたりと云ふべきは殆と見るを得ざりき、我日本の如きは用意未だその半を終へず。

と、一定の評価しつつも、運営面における反省点について指摘している。