山岡光太郎『世界の神秘境アラビヤ縦断記』

山岡光太郎 『世界の神秘境アラビヤ縦断記』 東京, 東亜堂書房, 明治45(1912)年, 252p.

<本文>

山岡光太郎(1880-1959)は東京外大学んだロシア語を生かして日露戦争に通訳官として従軍した後は中国などに赴任していたが、明治42(1909)年に陸軍を辞し、中東に向かった。陸軍(福島安正)から中東・イスラームに関する情報収集の命を受けていたともいわれている。この旅に出た時点で、山岡にはイスラムについての基礎知識もほとんどなかったようなので、少なくとも宗教的な動機は山岡になかったと思われる。
山岡は、神戸からまずインドのボンベイへ向かった。ここでイスラムに改宗するとともに、同行者となるムスリムからコーランについての講義を受け、イスラームについての基本的な知識をマスターしてから、いよいよ目的地であるアラビア半島に入った。中東では、日本人初となるメッカ巡礼を果たしたばかりでなく、メディナアラファト山、ダマスカスなどをめぐった。本書を読む限り、相当ハードな旅であったようだが、初めての日本人巡礼者ということで、各地で歓待を受けている。そして、ベイルートからイスタンブールに向けて出航したところで終わっているが、帰国したのは翌年のことだったらしい。
この旅の後も、山岡は敬虔なムスリムとして生活を送りつつ、中東や欧米への旅を繰り返したり、その見聞を元にした本を著している。このイスラム世界への旅が、きっかけが何であれ、山岡の人生を大きく変えたことは間違いないだろう。ただ、彼のセンセーショナルな旅とは裏腹に、その後の人生においては総じて不遇だったような印象を受ける。旅に人生の大半をかけるということは得てしてそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだが。