西牟田靖『本で床は抜けるのか』

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか

『マガジン航』の人気連載を元にした、友人のノンフィクション作家・西牟田靖さんの新著『本で床は抜けるのか』が好評のようだ(僕も友人・知り合い枠で2箇所ほど登場する*1)。

文中、この一連の取材について「旅」という言葉で形容しているが、蔵書の保管に悩ませる著者が「本で床が抜ける」という事態を回避するために、建築家に始まり、蔵書のために書庫や図書館を作った人・蔵書をどんどん捨てたり電子化したりする人・膨大な蔵書を残された人など、国内の様々な人や場所を訪れていくこのプロセスは、蔵書問題をテーマとした「旅」そのもの。このテーマ自体は決して目新しいものではないが、「私はこうした」という話は書かれていても、このテーマに絞って広く取材したという意味では類書はあまりないのではないだろうか。本好きならばすべからく、この問題に大なり小なり頭を悩ませているから、この本が好評なのも「そうだろうな」と思う。
西牟田さんにはこのネタで、僕の共同主催する勉強会で話してもらったことがある。かれこれ2年ほど前のことで、連載も終わっていない中途半端な時期のように見えるが、確か、その頃には連載が終わっているはずだと聞いたのでお願いしたと記憶している。この時はこの時で、やっぱりみんな身に覚えがあるからか大いに盛り上がったものだが、まさかその後、ここに書かれているような劇的な展開―「本で床が抜ける前に家庭の床が抜けていた」というコメントをどこかで見かけた―になるとは想像もしなかった(こういったことまで本のネタにしてしまう作家とは、因果な商売だと思う)。

ところで、前にも書いたが「わが実家「蔵書放出祭」始末記」という文章を寄稿した。タイトルそのまま、実家に溜め込んだ蔵書を処分した話だ。実家の蔵書については、これで、一部懸案は残るものの、ほぼカタがついたことになるが、今度は職場に溜め込んだ蔵書(図書館や出版、インターネット関係を中心に仕事に関連するものがほとんど)が時限爆弾になりそうな予感がしている。
なまじっか仕事に関連する/しそうなものばかりであるため、おいそれと放出するわけにもいかない。が、いずれは破綻するだろうから、実家の場合には選択肢に入れられなかった、電子化や、あるいは一箱古本市やライブラリーへの寄贈なども視野に入れながら考えていきたいと思う今日この頃。

*1:西牟田さんの本にこうやって登場するのは、『ニッポンの穴紀行』以来2度目。西牟田さんに最初に会ったのは、2008年にやった僕の写真展だから、結構長い付き合いになる