【番外編】板坂耀子『江戸の紀行文』

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

江戸時代の紀行文と言うと、僕は真っ先に松尾芭蕉の『おくのほそ道』を思い浮かべるのだが、著者は「『おくのほそ道』は、江戸時代の紀行の代表作ではない」という(僕にとっては衝撃的な)一言でこの本をスタートさせる。
客観的に旅先の土地を観察するという江戸時代の紀行文の典型的なスタイルの先駆けとなった林羅山の『丙辰紀行』と、それを突き詰めた貝原益軒の『木曾路記』『南遊記事』、そして蝦夷という「辺境」を取り上げた古川古松軒の『東遊雑記』。そこ各地の名所にまつわる説話を盛り込んだ石出吉深の『所歴日記』と、更にそこに学者としてツッコミを入れる本居宣長の『菅笠日記』とフィクションの要素を混ぜ込んだ橘南??の『東西遊記』。これらの流れを踏まえ、女性ならではの紀行文を提示した土屋斐子の『和泉日記』と紀行作家としては「江戸時代における唯一最大」と著者が評価するも世間では知られていない小津久足『青葉日記』。
本書では、これらの旅行記の紹介を軸に、江戸期の紀行文学史を概説する。江戸時代に入って人々は泰平の世を謳歌し、かつては危険で困難を伴うものだった旅を楽しむようになった。それはつまり、紀行文の読まれ方が変わったということではないかと筆者は指摘する。楽しさの追体験や疑似体験、旅の事前資料として紀行文が読まれるようになり、そして様々なスタイルが出てきたという。その流れで考えると、不自然なまでに古人の旅のスタイルをなぞり、旅に自己陶酔する松尾芭蕉の『おくのほそ道』は、平和な時代ならではの一つのスタイルではあっても「代表作ではない」というのはよく分かる。
さて、僕がこの本を手に取った最大の理由は、明治の紀行文は江戸時代から何を受け継いでいるのかということ。その点について、維新前後の混乱期はともかく、全体としては江戸時代の紀行が築き上げた「多彩な要素と前向きな明るさ」はほぼそのままに引き継がれていったと著者は指摘している。ここで取り上げてきた旅行記を振り返ると、この指摘も宜なるかなと思う。