内陸アジア史学会50周年記念公開シンポジウムに参加

今年の内陸アジア史学会は50周年ということで公開シンポジウム形式で開催されたのですが、恩師より「最終講義代わりに講演するので聴きに来るように」というメールが来たので、参加してきました。

いずれも興味深い講演でしたが、全て来年の『内陸アジア史研究』に掲載されるとのことなので、ここでは特に紹介はしません(恩師の講演については、別途エントリーを上げる予定です)。
アカデミズムの世界からドロップアウトした自分が思うに、各スピーカーの話から導き出されるキーワードは「危機感」だと思います。明治時代以降の日本の東洋学がその精緻な実証研究によって評価されてきている一方で、その取り巻く環境は悪くなるばかりです。削減される予算、レベル低下する世界史教育、減る研究者ポスト、現地国の学術的台頭、現地の情勢不安・・・そのような話が、多くのスピーカーから発せられていました。いずれも東洋史に限らない話ですが。
それらを克服していく一つの手段として、森安先生からは「高校世界史教育での内陸アジアのプレゼンス向上」が挙げられましたが、一方で「これからも実証研究を積み重ねるしかない」という発言もあり、取り巻く環境の厳しさは皆さん等しく感じるところでも、「ではどうするか」となると、なかなか方向性が一致しないようです。とは言え、登壇されていたのは比較的年配の方ばかりなので、若手の皆さんがどう思っているのかは分かりませんが。ともあれ、一参加者としては、そういったところを踏まえて、内陸アジア史の研究者とそれ以外の人間(私のような一般人も含む)のオープンディスカッションを期待していたのですが…。
今大会は「公開シンポジウム」という位置づけではありましたが、出版者や教師の方も多少は見えたとは言え、やはりアカデミックな世界に閉じていたのが残念です(Webサイトを見ても、本気で集客しようとしたとも見えないし)。また、せっかくの討論も、「自分の専門を忘れてもらっては困る」という宣伝ばかりで、(ありがちなケースですが)せっかくの「討論」は殆どない有り様でした。
最後の最後で、アカデミズムの機関に属することなく北アジア考古学を研究しているという方から、「もっとアクセシビリティを高めるべき。例えば、『内陸アジア史研究』のバックナンバーをインターネット公開するなど。」というコメントがありました。図書館員としてもこのコメントには全面的に賛成です。ちなみに、学会としてもインターネットに公開していくことで方向性は一致しているそうですが、著作権処理課題とのこと(こんな時のための図書館であり国立情報学研究所なのですけどね)。
巷には、「サイエンスコミュニケーター」という肩書を持つ人々がいます。広く社会に専門性の高い学問をかみ砕いて説明する人と言えばいいでしょうか。歴史学にもそういう人材(史学コミュニケーター?)は必要かもしれません。歴史学を担う「役割分担」の一角として、そういう人材が必要じゃないかと思います(例えば、教育従事者などは従来の実証研究従事者とは役割を分担すべき、コメンテーターの桃木先生は、その著書で指摘しています)。

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013)

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