「2010年代の出版を考える」@阿佐ヶ谷ロフトAに参加


2月1日に阿佐ヶ谷ロフトAで行われたイベント「2010年代の出版を考える」に参加してきました。仕掛け人は、同じ某NPO法人に籍を置きながら面識のない沢辺均さんや某勉強会でスピーカーをお願いした仲俣暁生さんがたち。もともと開催されるのは知っていたのだけれども、最終的に行くことを決めたのは、編集プロダクションを経営している高校の先輩から訊かれた「電子出版関係の情報が、何かないか?」という一言。「じゃあ行きましょうよ」ということで、参加したわけです。で、行ってみたら、ARGの岡本真さんはいるわ、ライターの西牟田靖さんはいるわと、何げに知り合いがけっこういる集まりでした*1

出版のこれからについては色々考えもあるんでしょうが、図書館的な立場から個人的な意見(暴論?)を言わせてもらうと、「情報さえストックされるんであれば紙でもデジタルでも何でもいい」というところでしょうか。単なる<メディア>の違いでしかないので、「後世に遺す」「使える資料を選ぶ」という点では、どっちもそんなに変わらないのです*2。もちろん、紙資料をベースに現在の図書館の<システム>は作られているので、デジタルにも適応できるようにシフトするのは無論、それなりにハードルは高いのですが・・・。それはさておき、いずれにせよ、沢辺さんがイベント中に発言されてきたように、メディアの変遷や技術の進歩によって情報流通に携わる各種プレーヤーの上昇と下降があるのは不可避でしょう。

さて、そんな個人的意見を踏まえて僕が一番ポイントになるなと思ったのは、最後にスピーカーの一人の橋本大也さんが「今日は、出版社と取次が介在しない流通モデルが(旧来の出版社とのニ者択一的にではなく)あり得るんですよということが話したかった」という一言*3。現在の出版のあり方を嫌った書き手がネットに流れている現状がある一方で、電子書籍の登場を機会に旧来の出版のあり方を見直す話も出てくる。かなり長い間<紙>、時には<ベンダー>さえ押さえていればある程度「知」を押さえることができたのに、紙でも電子書籍でもblog/twitterでも電子ジャーナルでも動画でも、(紙かWebかの二項対立ではなくて)色んな<メディア>を通じて「知」が溢れてくる。メディアが切り替わるのならまだしも、多様化してかつ、それぞれに技術の進歩などによって少しずつ姿を変えてくる*4
情報をストックする側としては、これは本当にシャレにならない(量的にも、これまでと同じような質での整理はきっと追いつかない!)。さっきは軽く流したけど、それへの図書館<システム>の対応ってのは、ハードルが高いどころじゃないんじゃないか?ということです*5。いや、まぁ同業の方にしてみれば「何を今さら」って話だと思いますが、たぶんこれまで思ってた以上に多様化しちゃうってことで。

今回のイベントも、発言者の多様性が確保できなかったりと残念なところもありましたが、岡本さんが呟いていたように「こんな雪の日に関係者が集まって熱く議論を交わしたということの方が意義深い」こと*6。いずれにしても、今年は電子書籍元年と言われる年。これまで理屈では分かっていたけど、これは本当にうかうかしていられん、と思いながら雪の中、帰ったのでした。

*1:実際は、100名ほどの参加者のうちほとんどが出版関係者で、残念なことに図書館員は自分を入れて2名…。Ustreamでも放送されていたし、津田大介さんの生tsudaりもあったので、リモートで見ていた人もかなりいると思いますが。

*2:図書館が情報を広く流布させる閲覧・複写についての検討はまだまだこれからですが、これは関係者間できちんと取り決め(制約)ができるかどうかがポイントになるかと。

*3:個人的には、これが「2010年代の出版」を考えるポイントだと思うのだが…まぁ、その辺りの議論は、まずは出版界の方にお任せします。

*4:電子書籍も、すぐにいまのままじゃなくなるでしょうし。すぐ思いつくところでは、音が出たりするようになるとか。図書館てのは、紙の時代からおまけ付きとかに実は弱いし…

*5:そこでこそ集合知じゃん!という議論もあると思いますが、それはまた別に。

*6:個人的は、twitterでの皆さんのツッコミやtsudaさんのまとめを見ながらのイベント聴講自体も興味深い体験でした。あと、自分の勤め先のことを振られるかと思ってちょっとドキドキしてましたが、それは杞憂に終わりました。