これからの知―情報環境は人と知の関わりを変えるか

d-laboセミナー「これからの知―情報環境は人と知の関わりを変えるか」(NDL長尾真館長と濱野智史さんの対談)に参加してきました。詳細はid:min2-fly氏がまとめているので、そちらをご覧頂ければよいとして…ここでは、最近ちょっと気になっていることを(遅ればせながら)ツラツラと書いてみようと思います。

話は少し遡ります。先日の第一回ウェブ学会シンポジウムは、仕事の合間に皆さんがtsudaるのをブラウズするくらいしかできなかったのですが、そこで気になるフレーズが飛び込んできました。
NDLの長尾館長の「図書館の強みは信頼性に裏付けられた知の基盤である」というニュアンスの言葉に対して、誰かが「『信頼性』という既得権益を手放さないのね」的なツッコミをtwitterで入れていました。これは、図書館における「知(ナレッジ)」とはどうあるべきなのか?ということをこの3月まで5年に渡って考えることを仕事としてきた自分にとっては、痛すぎるくらいに鋭い一言でした。
集合知だの何だのという言葉が出れば出るほど、図書館としては自分の「売り」或いは「領域」を確保するために「信頼性」という言葉を提示してきたわけですが、そうは言っても「知」をめぐる環境自体が大転換を見せているこの御時世、そんな二項対立的な考え方だけでやっていけるわけないしなぁ…と思っていたのですが。で、そんな折に「知」をめぐる環境のダイナミズムを何とかとらえようとするこのイベントだったわけです。

長尾館長のコメントを粗くまとめてしまうとこんな感じ。

  • 「知識」へのアプローチが「考える」から「探す」に変容。図書館は「知識」を提供するが、この場合、従来の図書館の検索ではなくよりファジーな検索が重要。ただし、得た知識を血肉(「知」)にするには訓練が必要。
  • 図書館の持つ「知識」の強みは「信頼性」。辞書にしても、従来の辞書では均等な精度で世界を網羅するが、wikipediaはそこまではいっていない。

一方の濱野さんのコメントをまた粗くまとめてしまうとこんな感じ。

  • インターネット社会学は、技術決定論・社会決定論のいずれかでは説明できない。つまり両方必要。だが、学問としての方法論が確立されていない。
  • ニコニコ動画でユーザに付与される勝手な分類体系は、色々な軸が入り乱れる「カオス」だからこそ活発。そこでは、「淘汰」が起きている。そういった進化のダイナミズムが「場」を作っている。それをどう構造化していくか。これからは人間ではなくメタデータが主役になるかも。
  • バーチャルとリアルは、まだ乖離している局面もあるが、今後は融合していくだろう。図書館も同様では。

ということを踏まえて、次のような話題に移ってきたところで時間切れ。

  • 現在のWebは一人の人間の処理キャパシティを超えていて、「全体の知の世界」と「個人の知の世界」とのギャップがある状態、即ち過渡期にある。そこをどう啓蒙していくか?

すでに書かれているように、対談がこれまでになく噛み合っていただけに残念。

そして最後に、濱野さんが、新たな図書館を現す言葉として「図書環」という概念・言葉を提示していました。これまでの「知を一局集中する」という役割ではなく「知の自律分散・協調を媒介し、かつ時々は直列的な知を支える環境」という役割を果たすニュアンスが込められていると僕は理解しました。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるのですが、図書館が色んな意味での大転換の時代を乗り越えていくには、「既得権益」って奴だけではダメだし、一度はそれを放り出してみる位の覚悟がいるんでしょうね、たぶん。で、じゃあ具体的にどないやねんとなると、奈良県立図書情報館の取り組みや地域デジタルアーカイブの動きなども視野に入ってはくるのですが、個人的には「まだやっぱりよく分からん」というところです。でもこれは、図書館屋としての自分がこれから考えていかなければいけないこと。
そんなことを漠然と考えながら、終了後にはid:argさん主催の懇親会×忘年会へ。ともあれ、これにてこのシリーズは終了。全部は参加できなかったけど、この図書館業界以外から気鋭の人を引っ張ってきて、より大きなところから知の構造を俯瞰し、そこに図書館をどう位置づけていくのかという非常に刺激的な「場」でした。企画の段階から知っていただけに、尚更。Leeさん、tklsgくん、お疲れ様でした&有難うございました。これを次のどう繋げていくのか?というのも図書館屋の自分が考えていかなければいけないこと。

  • 第1回「自律進化するデータベースは作れるか」告知記録
  • 第2回「もう、「本」や「図書館」はいらない!?」告知記録
  • 第3回「言語とはなにか― 書く、伝える、遺す」告知
  • 第4回「「これからの知―情報環境は人と知の関わりを変えるか」告知記録

09/12/28追記
はてブで「紙資料だから記述内容に「信頼性」があるというのはマチガイ。トンデモ本なんていくらでもあるよ。むしろ「典拠性」というか、それを共通の根拠に読み手が間主観性にいたる議論ができるということでは」とコメントをもらったので補足。
言葉が足りなかったかもしれないですが(特に辞書の下りを一緒のところに書いたところ)、「紙資料だから信頼性がある」ということではなくて、図書館員が図書館資料や色々な情報源を踏まえてサービスをするところに「信頼性」を求めてる、ということが言いたかったのです。