バナーラスからの手紙(2)

 今夜の列車でカルカッタに出ます。ガートを徘徊する物売りにも顔を覚えてもらってきていたので、本来ならこれから楽しくなるところなのですが、バングラデシュで新年を迎えるためには仕方のないところです。
 が、肝心の列車がなかなか来ません。夕方には出発していた筈なのに、辺りは真っ暗です。物売りや物乞いが跳梁跋扈する夜の駅の雰囲気も嫌いではないのですが、とんだクリスマス・イブになりそうです。

 さて、バナーラスには結局3日しか滞在できなかったのですが、ここを離れる前に、街の様子を書いておきたいと思います。
 この街の猥雑な、そして細い路地を、そこを闊歩する牛を避けながら歩いていくと、思わぬところでガンジスのガートに出ます。この街の路地は入り組んでいて、慣れない旅行者の方向感覚を奪ってしまうらしく、どこをどう歩いても結局はガートに戻ってきてしまうような気がします。
 そのガートでは、人々が思い思いのスタイルで母なるガンジスに身を委ねています。
 朝、夜明けとともに人々は、ガンジスに祈りを捧げ、そして身を清めます。河と空が渾然一体となった靄の中、静かに沐浴する褐色の肌の背中は、どこまでも神々しい。
 けれども、昼には、朝の荘厳な雰囲気とは一変して、何とものどかです。沐浴を終えた人々が河にせり出した岸の上で思い思いにくつろいでいたり、洗濯物を干していたり。けれども、この時間帯はおちおち河を眺めることもできません。すぐに物売りに囲まれてしまいます。彼らは僕がこれまで通りすぎてきたどの街の同業者よりもタフで、厄介です。
 彼らを振り切るには、河の上に出るしかありません。手漕ぎの小さな舟を一時間単位でチャーターできるので、僕たちは、朝・昼・晩と何かにつけてはガンジスに舟を浮かべては、寝転がって空を見上げながらあれやこれやと話をしていました。もしかしたら、これがこの街での一番の過ごし方なのかもしれません。

 ところで、ガンジスと言えば火葬場のことを思い浮かべる人もいるかもしれません。この土地では、ガンジスのガートで荼毘に付され、その遺灰をガンジスに還してもらうということが、人々の最大の願いだとも聞きます。不謹慎を承知で言うと、僕もその光景を見てみたかった。それを見たときに自分がどういう反応をするのか興味があったのです。
 結論だけ言ってしまうと、「映像」としてはチベットの鳥葬の後だったので、インパクトとしてはそれほどなかったような気がします。けれども、強烈に身体に焼き付けられたものもあります。
 それは、死体を焼く時の「におい」です。人の死を強烈に示す刺激的な臭い。あるいは、人を恍惚とさせる甘い匂い。僕の乏しい語彙力ではこれ以上の表現はできないのですが、あの「におい」が、今も鼻腔の奥から離れません。