ギャンツェにて


 ギャンツェは、ラサ・シガツェに次ぐチベット第三の街だ。インドとチベットを結ぶ交易路上に位置していて、それでいて農業も盛んで…という話は聞いていた。
 しかし、である。
 まだグロッキー状態のローレンを残して街に繰り出した俺たちを待っていたのは、「ゴーストタウン・ギャンツェ」だった。ギャンツェ・ゾンが見下ろす茶色い街には、人の気配がほとんどない。砂ぼこりを舞い上げ強風が吹き抜ける通りでは、時折ロバ者を引いた男とすれ違ったり、道路沿いの住居の窓の中に人の気配を感じるばかりだ。ジェームズは「"dead city"だな…」なんて言っていたが、実は、たちの悪い生き物だけはいた。
 チベットを旅するときに気をつけなければいけないことは、高山病や念仏を唱えながら人を殺すという山賊(最近は殆ど出ないと思うが)など幾つかあるのだが、もう一つある。
 「犬」である。 チベットの犬は、荒野で生き抜いているだけあって、逞しく、そして獰猛だ。生きているのか死んでいるのか分からない東南アジアの犬とは比べ物にならない。
 ギャンツェの街には、そんな野犬の群れがところどころにタムロしていた。5人の顔に緊張が走った。犬にお尻をかまれた韓国人の話を書いたけれど、その余韻が覚めやらぬこの状況において、1人だったら確実に回れ右をしていただろう。
「やばいんじゃないのかな?」
「5人もいれば大丈夫だろう」
「目を合わせるなよ…」
などと言いながら、努めて冷静を装いつつ、慎重に歩みを進める5人。その時、フランクがいつの間にか拳ほどの石を両手に持っていることに気づいた。
「なるほど、この方が丸腰よりはいいよな」
と他の4人も足元に転がっていた石を手にしたが、「やっぱりフランクの奴はただ者ではなかった」と俺は、やけにごつい(恐らくスキー用の)手袋で石を持つ30過ぎのオランダ男の背中を見直したのだった。
 結局、犬に襲われることもなく街を通り抜け、反対側の外れにある白居寺(パルコン・チューデ)へとたどり着いた。この寺は、パンコル・チョルテンという上の方に「仏陀の目」がついた、階段状のフォルムが美しい仏塔が有名だ。
 入り口で拝観料を尋ねると、小坊主の口から「一人25元」というとんでもない答えが返ってきた。正直、ちょっと高いなと思った。観光客から取れるだけ取ろうとする中国のこのやり方は気に食わないところだが、そうは言っても道楽でここまで来た外国人としては、お布施という意味でも払わざるを得ないのかな…と思っていたその時、フランクが思わぬ行動に出た。
 ジェームズと2人でこの小坊主を囲んで、拝観料を値切りだしたのだ。その様子は、正しくカツアゲである。
「高すぎるんだよ、この値段。この時期、客なんて殆ど来ないんだから全員で25元にしてくれよ…」
 小坊主は明らかに困り切っていたが、何分かの押し問答の後、諦めてこちらの言い値での拝観料にしてくれた。
 「ほら見ろよ」とやや得意気なフランク達に促されるまま、俺たちも寺に入ったが、寺にいる間、俺の中では何とも言いようの無い気分の悪いものがこみ上げていた。
 確かに、高い。しかし、そうまでして値切るということ自体が、寺院/仏教に対する敬意を欠くことではないのか。そもそも、この程度のことは「持つ者の義務」ではないのか。そして何より、何だかんだ言いながら結局5元で拝観してしまった自分。
 エージェントと巧みに交渉してきちんと契約を結び、野犬なんかにもきちんと備えをする一方で、2泊の宿代程度の拝観料を値切る。そんなフランクに、自分を含めたバックパッカーの抱える正の部分と負の部分を見たような気がしていたのだろう。
 せっかくのパンコル・チョルテンだったのだが、ずっと居心地が悪かった。

 寺を出てしばらく街を歩くと、移動の疲れからか、次第にみんなの口数も少なくなってきていた。たまに口を開いても、皮肉や愚痴しか出てこない。街中の喫茶店でチャイを飲んで温まると、晩御飯までもうやることはなくなってしまった。
 この日は、街外れの場末な四川料理屋での夕食もそこそこに、みんな9時にはベッドに入った。